信号と前の車のランプが光る夜。
騒音が五月蝿いかと思いきや、静かなものだ。
ラジオからは優しいメロディが流れて、一層車の中を静寂へと向かわせる。







隣から聞こえた低い声。
今はもう、猫を被ってはいない父。
ちらりと横目で彼を見た後、はまた目の前の光景を見た。



「どこに行きたい」



唐突な質問。
だが、これは予想の範囲内。
はぼんやりと考えてから、口を開いた。



「海」


「どこの海でもいいのか」


「できれば、人のいなさそうな海」



理由は一度も海には行ったことがないから。
父はただ分かったと言い、ハンドルをきった。

街から離れ、人、車通りがどんどんなくなっていく。
電灯がちらちらと道を照らすだけ。

闇へと化していく。



ぐらり、と車が揺れた。
どうやら道路、とは呼べない道に入ったようだ。
それこそが、人気がないことを意味している。

窓から見えるのは闇ばかり。
少し窓を開けてみると、確かに潮の香りがした。
あの闇は、どうやら海らしい。



「着いたぞ」



車が止まり、エンジン音が止む。
ラジオも何時の間にか終わっていた。
静寂が辺りを包む中、は静かにシートベルトを外した。
後ろの置いてあった自分の荷物を振り返って取り出し、ドアを開ける。



「有り難う」



地面へと足を下ろすと、砂利の感触が靴底から感じられる。
潮風を身体全体に浴びる。
吸い込まれそうな闇に、の顔は自然と綻んでいた。



「今まで、有り難う」



は闇に魅入られたまま、言葉を発する。
それはしっかりと父である彼に届き、小さくああという声が聞こえた。
ゆっくりと、助手席のドアを閉める。



「じゃあな」


「うん」



エンジンが再びかけられる。
冷たい機械のそれから、は2、3歩離れる。
それを待っていたかのように、車は動き出した。

遠ざかるエンジン音。
本当の暗闇と化したその場所。
静寂の中、かすかに聞こえる波の音。
その音に誘われるかのように、はゆっくりと闇の中を歩き出した。



冷たい風が闇に解けた髪を撫でる。
月も星も見えない空の下、砂浜へと辿りついた途端は靴と靴下を脱ぎ捨てた。
素足に直接感じる、粒上の砂。
心地よい感触に、は微笑む。

そのままは海へ足を浸した。
冷たい波が打ち寄せて砂を運んでは持ち去っていく。
塩水が少し傷に沁みたが、それすら嬉しい。


(あぁ…自由なんだ)


もう己を縛るものは何もない。

解放感。
同時に感じる寂しさ。



己の存在の意味の無さ。




ぴたり、と足が止まる。
空を見上げても、何もない闇。



空虚。







『消えてしまえばいいんだ』



『お前はもう、必要ないんだよ』





闇の奥、の過去から聞こえる声。
それには瞳を閉じた。