あの易者と出逢ってから数日。
町を出てからの、同じ数の日が経っている。


結局、あの後全く易者からの攻撃は受けていない。
会ってもいない。
それ以上に、他の妖怪からの攻撃やコンタクトもない。

平和そのものだ。
不気味な、ぐらいに。



変化があったとするのなら。
それはきっと。

八戒の、様子だろう。



あの日以来、あまり寝られていないようだ。
夜になって眠りについても、魘されてすぐ起きるの繰り返し。
どうやら、平和なようで彼の精神を蝕んでいるらしい。
それが、あの易者、清一色の狙いだろうか。

予想しか出来ないこの状況。
これが逆に恐怖心を仰ぐのだろう。



そして今。
あの日から数日経てば、夜空には大きな満月が東から昇ってきている。
虫が奏でる曲はまるで葬送曲のよう。
深い森の中で佇むジープ。

その中で、五人は眠っていた。
いや、一人は起きていた。

が、のんびりと夜空を見ていたのだ。


(…よりによって、こういうときに満月かね)


満月はまだ低い位置にあり、高い位置にはまだ遠い。
しかし、いずれ来る刻。
それを考えれば、頭が痛くなる。

ただでさえあの清一色を警戒し、団体行動をとっているというのに。


(…まさか、これを狙ってたとかいうんじゃねぇだろうな)


三蔵一行から自分が離れる刻があるというのなら、満月が高い位置に昇ったとき。
彼らに見られないように、魂の解放を行うためだ。
魂の解放を行ってしまえば、の身体は動かなくなる。

そうすれば無防備な『死神』。
を攻撃するとなれば、その瞬間。


(…たく、本当に面倒なことになったな…)


まだ死ぬわけにはいかない。
自分の目的を、まだ果たしていないから。



『アナタガ、悪イノヨ』



例え何と言われようと。
例え何度裏切られようと。



『死神ナンカ、コノ世ニイラナインダヨ!!』


『人殺シィィィ!!!』



例え何と罵られようと。
例え罪に溺れても。
血を浴びるだけでは飽き足らず、魂を解放するという名目で多くの命を刈り取ろうとも。


自分だけは、死ぬわけには、いかない。



(……そのときになったら、考えればいいか)


考えることも面倒くさい。
どちらにせよ、満月にはまだ数時間ある。
もしそのときに接触したなら、考えればいいだけの話。

フゥと小さく息を吐く。
それは、夜の闇に溶けていく。


ユラリユラリと揺れる星空。
輝く満月。
綺麗な夜空とは逆な、魘されるような息遣い。


(……八戒)


運転席から聞こえるそれ。
毎晩苛まれるためにすぐ分かる。

はすぐに、荷物から水筒を出した。
中には水が入っている。
いつか三蔵にもこうやったっけと、どうでもいいことを思う。

バッと勢い良く八戒が起き上がった。
荒い息遣い。



「−あ……」



小さく声が零れる。
息を整え、背もたれへと背を預ける彼。

顔色はよくない。
それは暗い夜であろうと、後ろ姿だろうと分かること。
あの日からずっと、そうなのだから。



「……八戒」



伺うように、小さく声をかける。
驚きに少し肩を揺らす八戒を見てから、は少しだけ声をかけなければよかったかもしれないとすら思った。
振り返った深緑の瞳は、ユラユラと揺れている。



「……



出た声は掠れている。
苦笑を零しているそれは、いつもの苦笑ではない。
悲しみと苦しみを前面に出したそれに、は少しだけ顔を顰めた。



「…お節介だったら御免。…水、飲む?」



本来ならばお酒を勧めたいところだが、きっとそんな気分ではないだろう。
ヘタをすれば、また悪夢に苛まれるかもしれない。
だからこそ、水だ。

水筒をそっと差し出せば、八戒はありがとうございますと、受け取った。
口に含まれる透明な水。
まだ飲めるだけ、いいだろう。
ここ最近、摂取する食事の量も少なくなってきているのだから。



「−どうかしたか」


「三蔵…」



三蔵も目覚めたらしい。
助手席の金色の髪が小さく揺れる。
八戒は彼を確認してから、誤魔化すように笑ってみせた。



「何でもありません。寝相悪くて。あ、、水ありがとうございました」



嘘をついて、心配させないようにする。
水筒はへと、渡された。
それを静かに、荷物の中へと仕舞う。

嘘だとは言わない。
これは、八戒の問題だと知っているから。



「ちょっと散歩に行ってきますね」



八戒は運転席のドアを開け、地面へと降り立つ。
笑顔を、貼り付けたまま。

三蔵はその顔をしっかりと見つめてから、口を開いた。



「−気をつけろよ」


「はい」



止めはしない。
きっと三蔵も分かっていての言葉だろう。
八戒はそのまま、歩き出す。
森の闇の中へ。

それを、静かに見送る三蔵と
三蔵はそのまま座席に沈み、また瞳を閉じた。
眠りに、つくのだろう。

はそんな後ろ姿を見てから、背もたれに背を預けた。
また視線を夜空へと向ける。
そして、隣からは消えた寝息一つを感じる。



「……」



何も言わず。
視線も合わせず。

ただ、はトンと軽くその腕を肘でつついた。

起きているだろう悟浄の、腕を。



八戒は悟浄を知っていた。
『ジエン』だかのことについて。

ならば、逆も然りだろう。


だからこそ、ここは悟浄が行くべきだ。
八戒のことを一番心配しているのも、彼であるのだから。



「…………」


「……………」



お互い何も言わない。
行かないのならば、それでもいいかと思いながらのんびりと夜空を見上げる。

そこに降ってきたのは、腕。
銀色の頭の上に、それはずっしりと乗せられた。



「…………」


「……………………」



三蔵達を起こさないように行われる、無言の会話。
視線すらも合わさないままのそれ。
重い腕を感じた途端、は半眼になった。
勿論顔は、不満顔だ。

その後聞こえたのはドアを開ける音。
消える腕の重み。
代わりにグシャグシャと頭を乱暴に撫でられてしまった。


(…行ってくるってか)


もしこれがそういうことを意味するものならば、もうちょっと考えて欲しいものだ。
銀の髪があちこちに跳ねるのを感じながら、面倒そうには手を軽く振った。

空いた席。
消えた手と遠のく足音。


(…っとに、面倒なこって)


これで落ち着いてくれたらいい。
いずれにしても、いつか、いつものような笑みを八戒が取り戻してくれればいい。
あとは清一色をさっさと倒すことが出来ればいい。

出来ることならば、彼の接触が今日ではないことを祈る。


今は満月がまだ高く昇らないように。
夜空をただただ、見上げていた。