紫苑の瞳に映るのは、遠い遠い空。
手の届かぬそれは、今は灰色に塗られていた。
雲の、影の色に。



「お、起きたかよ」


「本当だ!おはよ、!!」



はその声にゆっくりと瞳を動かした。
悟浄と悟空が、覗き込んでくる。
その姿を見て、はゆっくりと、息を吐き出した。



「…おはよ」



あの日以来、傷や毒を癒すためにほとんど寝てばっかりだ。
だからこそ意識はまだしっかりとしていない。
ジープはまだ走っているらしく、湿った風が頬を撫でる。
は虚ろな瞳のまま、辺りを見回した。



「八戒も三蔵も、おはよ」


「はい、おはようございます」


「寝すぎだろうが」



二人のいつもと変わらない言葉を聞きながら、瞳は景色を見回す。
岩場が目立つ、面白みのない道。
それを確認してから、自分の服をゆっくりと捲る。

ムカデに咬まれた傷は、消えつつある。
毒もかなり解毒されているようだ。
この様子だと、明日にでも本調子に戻るだろう。
小さく、は安堵の息を零した。



「…で、今日何日目だっけ」


「三日目ですよ、そろそろ次の町に着くはずです」


「そっか」



清一色の事件から三日。
ほとんど眠っていたために時間は良く分からない。
ぼんやりとした頭の中、自分の荷物を確認する。
食料、飲料水、お金、着替え。
必要なものがあるかどうか、ちゃんと見て。



「…よし、いつでも降りられる」



準備は完了。
後はそのときまでのんびりするだけ。
一息ついて背もたれに背を預ける。

流れる景色が、いつもより速く感じられる。



「…がいなくなると、つまんなくなるなァ」



ぼそり、と隣で悟空が言葉を零す。
どこか悲しげなその声に、八戒は苦笑を零した。
何だかんだで、一番を気に入っていたのは、彼なのだから。

しかし、当の本人は何ともなさげにのんびり口を開く。



「こっちは楽だわ。元々一人旅だったし、拉致からこんな旅は始まったわけだし」


「それは俺に喧嘩売ってンのか」


「真実言ってるだけ」



三蔵の瞳が鋭くなる中、それをも関係ないとばかりに暢気な声を出す。
曇り空が影を増す。
紫苑はそれを、じっと見つめている。

拉致から始まって、三ヶ月。
満月を三回。

多くの人と会い、多く戦った。
食べて、飲んで、寝て、戦って、会話して、勝負して。

彼らと共に。



「あ、町が見えてきましたね」


「え、嘘!!八戒!ゆっくり走って!ゆっくり!!」


「何で」



悟空が身を乗り出して、スピードを落とすことを促す。
シラけるを他所に、のんびりとした速さになる。
頭には、慣れた腕の重みが圧し掛かる。



「イーんじゃねェの、のんびり走っても町は逃げねェし」


「俺まだと一緒にいたいし!!」


「あはは、好かれましたねぇ


「そう言うお前もきっちりスピード下げてんじゃねェか」



四人それぞれがそんなことを言う中、は瞳を半開きにしながら、前を向いていた。
見える町の姿。
どこか殺風景なそれと、四人の台詞にうんざりする。

いや、本当は分かっている。
惜しんでいるのだ、この別れを。
だからこそ、彼らの言葉が心を抉る。

しかし、それを認めてはいけない。
彼らを受け入れることになるのだから。


(まぁ、ちゃんと離れてくれるだけいいか)


抵抗したら殺さなくてはいけなかったのだから。
それよりはよっぽどマシだ。
ギャイギャイと騒ぐ車の上で、はそんなことを思うようにしていた。
認めないようにと。

どんなにゆっくり走っていても近づく町。
五月蝿さに溜め息を吐きながら、のんびりとそれを見る。


だが。



「…………ごめん八戒、ちょっと止めて」



は、制止を促した。
手を八戒の肩においてまで。

いきなりのことに四人全員が驚く中、八戒はしっかりとブレーキを踏む。
止まる景色。



「どした?おチビ」


「何々!?一緒に来る気になった!?」



はそんな悟浄と悟空の言葉を他所に、見える町を凝視した。
琥珀色の入口。
その向こうの建物の数々。
看板にある、町の名前。

『蜂窩<ホウカ>』



「………三蔵、あれ『蜂窩』って書いてあるよな」


「あ?…そう書いてるが」



三蔵に確認を取るが、やはりそう書いてある。
そのまま、は辺りを見回した。
岩場ばかりの、殺風景な景色。

紫苑の瞳に鋭さが増す。
それを、四人全員が見つめていた。



「…どうしたんですか?」


「……………」



さすがに疑問が出てくる。
妖気でも感じたかと思いきや、此方は何も感じない。
八戒が代表して言葉を出すが、は無反応。
紫苑の鋭い瞳で、辺りを見回すだけだ。
普段こんな姿を見せないを、四人は心から首を傾げて見やるしか出来ないでいた。



どこか、生ぬるい風が肌を掠める。
コメカミから流れるのは悪寒から溢れる、一筋の滴。


(…なんで)


の心は酷く焦っていた。
彼ら四人の視線に気づくことも出来ないぐらいに。

瞳に映るのは、見慣れたような景色。
懐かしいような町の姿。


いや、ような、ではない。
懐かしい、のだ。
確信が持てるほどに。


(なんでここに、……コレが…あるんだ…)


これは、幻術だろうか。
それにしては手が込みすぎている。

目の前のそれに、胸が締め付けられるよう。
焦燥と不安に、過去が行き来する。


脳裏に映る映像が血に染まる。

耳の奥から、罵声、悲鳴、多くの声が過去から蘇ってくる。





『死神!悪魔!!』


『出テ行ケェェ!!人殺シ!!』


『貴方ガ』










『貴方ガ、悪イノヨ』














過去。
終わった、こと。

それなのに。
まだ自分を襲う負の感情。
罪と戒めも、言葉も魂も感情も。

まだここに。



「………っ」


っ!!?」



悟空の驚く言葉を背後に、はジープから飛び降りた。
いてもたっても、いられなかったのだ。

過去、だというのに。
あの町はここにある。


ここにあるわけがないからこそ、辺りを捜索する必要がある。
負の感情を、振り払うように。
はしっかりとした眼で、四人とジープを振り返った。
口を大きく開いて、言葉を、しっかりと伝えられるように紡ぐ。



「ごめん、俺ここで降りるわ。ここで、ちょっとやりたいことあるから」


「はぁ!?」



悟空が大きく声をあげる。
まだ別れに数分あると思っていたそれは裏切られたのだ。
声もあげたくなる。
不満顔の悟空をよそに、悟浄は顔を顰めて乗り出した。



「何やるっての、こんな岩場で」


「…確認、かな」



声は、冷静。
逆にの紫苑の瞳は辺りを睨みつける。
殺風景なそこ。
しかし、似すぎているそこ。

只ならぬ雰囲気に、三蔵が顔を顰める。
まるで伺うように。
それを知る八戒は、代わりに口を開いた。



「…手伝いましょうか?」



何かがあるのなら、自分達も行った方がいいかもしれない。
しかし、はフルフルと首を横に振った。



「これは、俺の問題だから」



三蔵一行ではない、だけの問題。
しっかりと言い放つその言葉は、誰も寄せ付けない。
三蔵一行の問題に入らなかった代わり、こちらの問題に入らせない。

それが、しっかりと伝わるから。


誰もが黙る中、は軽く頭を下げた。



「ここまでありがと。三蔵、八戒、悟空、悟浄、そして白竜。楽しかったよ、一応」



上がった瞳は、小さく揺らぐ。
口の端は上がっている。
しかし、笑みはやはり心を許していないもの。



「さよなら。元気で」



は簡単にそうとだけ言葉にして軽く手を振って。
すぐに瞳を鋭くして走りだした。
岩場の中へと、入っていく。

四人はあっけにとられ、何も言えなかった。
ただ、後姿のを、見やることしか出来ないでいた。










走って走って、生ぬるい風を切る。
決して後ろを振り向かずに、前だけを見つめていた。



(もし、ここが『蜂窩』なら)


自分が知る蜂窩なら。
町の中にはきっと。
自分の過去と正体を知る彼らがいる。


(彼らを、巻き込むわけにはいかない)



素直じゃないモノグサの三蔵も。

優しくて少し腹黒い八戒も。

イイ兄貴分でエロい悟浄も。

単純で元気で食欲旺盛な悟空も。

すぐを気に入ってくれた白竜も。




巻き込んではいけない。



過去が、目を覚ますなら。
闇が太陽を蝕むのなら。


(…楽しかった、よ。本当に)


すぐに手放さなければ。
消えてしまう。
自分の手で。

彼らを、殺してしまう。


(さよ、なら)



太陽をこの世から失くしてしまわぬように。
受け入れないように。
そして闇をも失くさないように。



突き放して








悲しみとして捉えてはいけない。
これはいずれあっただろう別れなのだから。


(今は、とにかく『蜂窩』を調べなくちゃ)


もしここが自分の知るそこで。
自分が通っていかなくてはならないのなら。





別れに思いを馳せている場合ではない。
大事なのはただ一つ。

過去を背負うための。


それ相応の覚悟を。


















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