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数刻前。 次の依頼の情報を得るために行かなくてはいけない時刻だというのに、閻魔あいは『アレ』に呼び出されていた。 あの漆黒の世界へと。 三途の川の途中の、黒き世界。 いつもと同じように動く、三つの大きな瞳。 あいは無表情で、それが喋りだすのを待っていた。 三つの大きな瞳に、あいだけを映し出す。 そして、それはあいをゆっくりと呼んだ。 『あい』 未だに慣れない、この奥底から絞りだされるような低い声。 あいの表情は変わらないまでも、心は曇りのまま。 『アレ』はそれを理解しているようで、言葉を続けた。 『お前を呼んだのは、他でもない。数日前に地獄へと流されたについてだ』 その言葉に、あいは内心首を傾げた。 彼女、の件は地獄逝きだけで終わったはずだ。 何を今更、彼女の話題を出すのだろう。 『アレ』は何も言わないあいを確認してから、また声を出した。 『あやつは今、地獄の業火に焼かれている。…しかしながら、あやつの顔は苦痛に歪む顔ではない。…まるで何事をも許しているような笑顔で耐えている』 「……まさか」 あの地獄の業火で笑っているだなんて。 幻を見せただけで、あんなに辛そうだった彼女が。 今は笑っているという。 信じられない、と紅の瞳を大きく見開かせるあいとは逆に、『アレ』は淡々と述べていく。 『真実だ。あやつには他の拷問も試したが…全てを笑顔で受け、流している。叫び声をあげても、どんなに辛くとも、笑顔で。…そういう体質かとも考えたが、そうではない』 三つの目が細まっていく。 まるで彼女を思い出しているかのようだ。 あいは未だ信じられず、目を見開かせることぐらいしか出来ないでいる。 「……何故、あんな苦痛を笑顔で……」 当然の疑問。 幻でさえ辛いあれを、全て笑顔で耐えているだなんて。 たとえそういう体質であっても、おかしいことこの上ない。 誰にとっても苦痛であるように作られているのだから。 『あやつは……己の選択を後悔していない』 「…選択を、後悔、していない…?」 『我々が与えた最悪の選択肢すら抜け出して、己で見つけ出した選択に、後悔など露一つしていない。それ故に、全てを受け入れているのだ。これでは地獄の意味がない』 地獄は己の行った行為を後悔させる場所。 しかし、は後悔などしていない。 確かにそれでは地獄の意味がない。 だからと言って、極楽浄土に送るわけではないようだ。 「…どうする気なの」 地獄に置けない。 浄土にも送らない。 『アレ』は、全く違う選択肢を掲示した。 『…あい、お前の元に就かせる』 「…………え?」 言葉の意味を理解し損ねて、あいは自分でも驚くほどの間の抜けた声を出した。 『アレ』の後ろからぼんやりと銀色の光が見える。 それはゆっくりとあいに近づき、あいの乗っている舟の中へとゆっくりと降り立った。 光が消える。 同時に現れる、人間の身体。 あいと同じ、黒を基調とした着物。 違うのは長襦袢が見えないということと、帯が水色だとういこと。 銀色の短い髪が舟の床に散らばる。 その人物は紛れもなく、。 彼女は気を失っているのか、瞳を閉じたままだった。 『こやつには、あいと同じ地獄を科す。多くの人間を地獄に流し、罪を償えばいい』 「……じゃあ……」 『そう…地獄少女はこれから二人が就く。仕事をしっかりと教えてやるといい。お前の方が、先輩にあたるのだからな』 用件はそれだけだ、と三つの瞳はまた忙しなくあちこちへと動き始めた。 舟も自然と、紅の世界へと導いていく。 戸惑いが溢れる中、規則正しい寝息が隣から聞こえてくる。 「…分かったわ」 もはや『アレ』には届かない距離で、小さく呟く。 あいは、舟に横たわるの銀の髪を、静かに梳いた。 柔らかい、髪。 温もり。 彼女のことをしっかりと一目蓮たちに話さなければ。 しかし説明は苦手だ。 あいは、が起きるまでしばらくの間、優しく髪を梳いていた。 無意識にも、優しい笑顔で。 現世に来て数分。 あいと一緒に現れたに、三人は戸惑いを隠せなかった。 何故、どうして、ここに。 多くの疑問は浮かぶけれど、言葉には中々出せず。 行動にも出せず。 ただただ立ち尽くしている三人を横目に、あいは説明を始めた。 「今日から私の元に就くよ」 説明終わり。 それに満足して、あいは屋台の椅子へと腰掛けた。 まだ三人はぽかんと口を開けたままであるのに、彼女は説明を全て終えたかのように、はんぺんを取っている。 はどうしたらいいのか分からず、苦笑を浮かべながらペコリと頭を下げた。 「改めまして、宜しく。皆に迷惑をかけないよう、頑張るな」 頭をあげる。 途端に、骨女が動きだした。 の傍まで駆け寄って、両手での顔を包む。 「本当に………本当にかい?」 まだ信じられない。 この両手が赤黒く染まって数日しか経っていない。 感触も未だに抜けきれていないのに。 両手に伝わるのは、の熱。 死んでいるものだと分かっていても、感じるの存在。 「俺に似てる奴がいたら、可哀想だと思わない?」 苦笑を零す。 紛れもなく、彼女。 そう感じた瞬間、骨女はしっかりとを抱きしめた。 女性独特の甘い香りと柔らかさに包まれる。 は驚き、胸をドキドキさせながらも、両手を骨女の背中へと廻した。 「このバカっ!!アタシがどんだけ……どんだけ………っ!!!」 酔いも回っているんだろう。 いつも勝気な骨女の姿はどこにもなく、彼女の頬を伝う涙が、の肩を濡らしていく。 はそんな彼女の背中を優しく撫でて、申し訳なさそうに口を開いた。 「…ごめんなさい…辛い思いさせて……。俺、自分の選択だけに満足しちゃって……残された人たちのこと、全然考えてなくて…」 「本当だよっ!!全く……アンタって子は……」 その台詞はまるで母親か姉のようだ。 場違いなことを考えながら、の手は背を撫でることをやめない。 心地よい温もりに、目を閉じるほどだ。 「ほんと、心臓に悪いよなは」 違う香水の香り。 それを感じた途端、今度は後ろからも抱きしめられていた。 前からも後ろからも抱きしめられたこの状態は、見た目、間抜けなサンドイッチ状だろう。 「マジ、心臓止まるかと思った」 後ろから感じる温もり。 骨女とは違う、硬いけれど優しい腕。 耳元に囁かれる低い声に、の心臓は先程と同じくらい飛び跳ねた。 …まぁ、死んでいるのだから心臓も元も子もないのだが。 「…一目蓮さん死んでるから心臓ないんじゃ」 「それ、言わない約束」 身体の前後から感じる温もり。 肩を濡らす涙と、もう片方にかかる優しい吐息。 ビジュアル的にも美女、美男子の二人に挟まれているは、ちゃっかり『両手に花』状態をまた体験していた。 「…二人とも、そろそろ情報をお嬢に報告しねぇと、お嬢がおでん全部食べ尽くしちまうぜ」 遠くから輪入道が笑って声をかける。 三人が屋台へと目を向けると、あいが黙々とおでんを食べていくのが分かる。 その様子を見て、三人は目を合わせてクスリと笑った後、屋台へと足を向けた。 屋台では、の隣は例の二人ががっちりとキープしていた。 まるで逃がさない、とでも言っているようだ。 二人は各々自分のグラスに酒を注いではあいに報告を済ませている。 その間に、は自分もおでんを口に含みながら話を聞く。 「はコンニャクが好きなのかい?」 「うん。美味しいし。あ、でも全部美味しいよ!輪入道さんは料理が上手なんだな」 「ハハッ。有り難うよ」 輪入道が優しく微笑む。 それにつられて、も微笑んだ。 多くの罪を背負い、生きてきた自分。 それを償うために、ここにいる。 けれど、これは充分すぎるほど幸せな形であった。 自分を救ってくれた人たちが今、一緒に笑ってくれているのだから。 「………幸せ……だなぁ」 本当は、こんなことではいけないのかもしれない。 もっともっと、苦しんでいくべきなのに。 それでも、それでもこんなにも幸せで。 死んだ後が、こんなにも。 自分の居場所が、紅の世界がこんなにも。 「お、そうだ」 「何?」 輪入道が思いついたかのように両手を叩く。 が不思議に首を傾げると、彼は笑みを濃くして口を開いた。 「おかえり」 優しい手の平がの頭を撫でた。 皺くちゃの、大きくて温かい手。 同じくらいの、笑顔。 は大きく目を見開いた。 同時に、一目蓮も骨女も微笑んで「おかえり」と言葉を出す。 「…おかえり、なさい」 骨女の向こうから、あいも小さく声を出す。 紅の瞳はしっかりとに向けられていて。 …片手にはちゃんとおでんを持っていたが。 優しい眼差し。 優しい微笑み。 温かい、居場所。 「………ただいま」 そんな言葉を口に出せる居場所。 己を怨む者が微笑む場所は、現世には在らず。 己の罪を償う場所に在り。 今はその喜びを胸に、微笑むがいい。 紅の世界に咲き誇る、彼岸花のように。 |