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その後、は初めて大泣きといものを体験した。 涙は滝のように流れ落ち、声も自分でも驚くほどの大きさ。 泣いている間、新しい家族は優しく肩を擦ったりしてくれるから、尚更溢れるものがあるわけで。 結局数十分泣き終えたは、疲労感と安心感に見回られ、眠気がどっと襲ってきていた。 舟を漕いでいる状態にまで陥ったところで、兄となった新が「俺の飯を食えねぇってのか!」と無理やりに御飯を食べさせた。 がそれを見て少しばかり焦ったが、父となった寿が「食べなくちゃ元気になれないしな」と言ったばかりに止めることもできず。 半強制的に食べ終えた後、は満腹感などで遂に意識を失ったのだった。 次に目を開けると、昨日のままの天井が見えた。 昨日と違うのは、電灯が点いてなく、外からの光で明るくなっているということ。 泣きはらしたせいか少し腫れている両目を瞬かせながら、カーテンを開けた。 「…うわぁ…っ」 快晴。 そしてそこから見える大海原。 青に囲まれた壮大な景色に、は感嘆の声を無意識に漏らした。 なんとも眺めがいい。 空と海の境界線が見えないぐらいの青。 夜とは違うその光景。 「綺麗…」 あんなにも闇の中にいたというのに、今はそんなこと露一つ感じさせない。 太陽は差別することなく、地上のものを全て照らしている。 後ろを振り向くと、その光はこの部屋をも優しく包み込んでいた。 六畳ほどの和室。 あるのはが寝ていた布団と、の荷物。 そしてちょこちょことした可愛い、小さなガラス細工の置物。 こげ茶色の大きな洋服タンスと同じ色の本棚、そして押入れがある。 客間、ではないようだ。 誰かが使っていたように感じる。 それを感じるのに、この部屋はあまり使われていないようだ。 そう、なんとなく分かる感覚。 (…そっか。俺の母さんの部屋に似てるんだ) 死んだ後、持ち主のなくなった部屋。 誰かが使うわけでもないが、それでも綺麗にしてあるあの部屋に、感じが似ている。 死んだ母を忘れないように、祈りながら掃除をした日々。 父の暴力に耐えながらも、はそれだけは欠かさずに行っていた。 そういえば昨夜、紅橋親子から『母』の言葉は出なかった。 この部屋の雰囲気から考えて、恐らく彼女はこの世にはいないのだろう。 (…大切な人の部屋にお邪魔してたんだな…) なんだか申し訳なくなる。 遺影も何もないこの部屋に、は手を合わせてお辞儀をした。 何の返事も返ってはこない。 けれど、感謝の意味を込めて。 しばらくそうした後、は荷物から着替えを取り出した。 下着、ジーンズと英語の何かのロゴ入りの、黒い長袖のシャツ。 特に生きる気力もなかったは、それぐらいしか着替えなど持ってきていなかった。 さっさとそれに着替え、時計を見ると朝の八時。 少し寝すぎた、と感じながらはようやく部屋から一歩踏み出した。 木で出来た廊下、階段。 そこに飾られている多くのアジアンテイストのモニュメント。 あちこちにある部屋への入り口、襖。 どうやらこの家は和装が好きらしい。 はて、どっちに行ったらいいものかと考えたときだった。 誰かが階段を上がる音がする。 紅の瞳がそちらに動くと、銀色の瞳とかち合った。 「あぁ、おはようございますさん。今起こしに行こうとしていたんですよ」 だ。 昨日とは変わらぬ微笑で、優しい声を出す。 昨日あんなに泣いたせいだろうか。 嬉しい言葉を貰ったからだろうか。 何か照れくさくて、は戸惑いながらも口を開いた。 「あ、えと…おはようございます、さん」 ペコっと頭を下げる。 は近くに来て、ニッコリと笑った。 そこでは、初めて彼の身長を知った。 の、頭一個分高い。 必然的に、見上げるようになってしまった。 「、でいいですよ。それと、敬語もいりません。僕達は友達、なんですから」 友達。 改めて聞くとなんだか、むず痒い。 顔が熱くなるのを感じながら、はコクリと頷いた。 「あ、じゃあ俺のこともって呼んでくだ………呼んでくれよ。さ……は、丁寧語が癖?」 「はい、僕のはどうしてもこれが抜けなくて…気にしないでくださいね」 「分かった」 「じゃあ、こちらにどうぞ。新さんが御飯作ってくれましたよ」 が階段の下へと促す。 は辺りを見回しながら、ゆっくりと、怪我に響かないように下りた。 良い匂いが辺りを包み込んでいる。 まるで吸い寄せられるかのように足が動いた。 広い空間に出る。 今にはテレビが置いてあり、今ニュースを流していた。 そこに低く、広い長方形のテーブルが一つ、それを取り囲む四つの座布団。 色とりどりのおかずと、寿の後姿が目に入った。 「お、おはよう」 人の気配に気付き、彼は後ろを向いて優しく微笑んだ。 昨日とは違い、眼鏡をかけているせいか理知的に見える。 は腰から頭を下げた。 「おはようございます、寿さん」 「はい、ダメ〜。やり直し〜」 「はい?」 挨拶したらいきなりの駄目出し。 わけが分からず、は思い切り首を傾げてしまった。 言葉を間違っただろうか、と考え始めたとき、彼の口は動いた。 「家族なんだから、敬語なし。お前さんは娘なんだから、私を呼ぶときは『お父さん』とか『親父』!それが呼び辛かったら、せめて『おじさん』にしてもらわないとな」 キョトン、としたのは勿論だ。 目の前の新たな父は、イタズラっ子のように不敵に笑っている。 どうやら精神年齢はまだ少年のようだ。 改めてその言葉を理解すると、は顔を真っ赤にさせて口を開いた。 「…えと…お、おはよう……お、お父、さん」 口に出せば、さらに恥ずかしい。 耳まで真っ赤にさせて言うを見て、隣でが声を出さずにクスクスと笑っている。 そして寿は、満面の笑顔で嬉しそうに親指を立てた。 「よし、合格!座ってよーし」 「あ、あう…」 満足げに笑う父が眩しい。 は未だに顔の熱が引かないまま、促された席へと座った。 もの隣、寿の向かいに座った。 それを見計らったかのように、台所から新が出てきた。 「おし、これで完了〜。お、おはよ」 「あ、おはようございます新さん」 「はいダメ〜。やり直し!」 「へぇ?」 新にも駄目出しが出されてしまった。 言い方も寿にそっくりだ。 やはり親子だ、と感心すらする。 (ということは、やっぱり考えてることは同じなのかな?) 新を見上げると、何かを期待しているような眼差しだ。 キラキラと輝いているようにすら感じる。 あまりの眩しさにダメージを受けそうだ。 またもやの顔が赤くなる。 「……え、う……お、おはよぅ…えと……お兄ちゃん」 お兄ちゃん、なんて呼ぶのは初めてのせいで、尚更赤くなる。 の目があちこちに泳ぐ。 恥ずかしさで、紅の瞳は涙目だ。 新は、寿と同じ満足げな笑みを浮かべた。 「よし合格!…いやぁ、新鮮だよなァ『お兄ちゃん』て呼ばれるってのは」 どうやら照れも入っているらしい。 笑顔が少しだけはにかんでいる。 新はおかずをテーブルに置いての向かいに座った。 全員が食卓に揃う。 「じゃ、食べようか。いただきます」 「「「いただきます」」」 朝食が始まる。 未だ顔の熱が引かないまま、が食べ始める。 美味しい御飯だ。 思わず「美味しい」と零してしまったため、新が照れ、それがまたに移るという事態。 それに笑いが零れ、最初の朝、は真っ赤な顔のままで終わった。 |