世間体を気にし、表では優しい父。
家では憎しみを曝け出す裏の顔。

どちらも父。
しかし、に向けられるのはいつも裏の顔。

恐い。
悲しい。
辛い。
苦しい。


それでも父しか、いない。






は誰にも相談しなかった。
相談、といっても誰ものことなど気にしない。
小学校にあがってもその容姿は皆から異端扱いされるだけ。

何人かが同情、という名目で話しかけてきた。
それにはそれ相応の返答をした。
どちらにしろ、彼らだって離れていくのだ。

は父親の言うことをよく守った。
特に傷は見せないように、というのではいつも長袖の服を着用した。
夏の暑い日差しの中も、黒のハイネックを着ていたこともある。
水泳の授業はいつも病気だと言い訳して全て欠席した。



どんなに酷いことをされても、の中心はいつも父親だった。

小学校二年の夏までは。




ある夏の暑い日。

小学校では水泳の授業が行われていた。
は勿論、欠席だ。
蒸し熱い見学室、その前で気持ち良さそうに泳ぐ生徒。

この蒸し暑さの中、長袖は酷だった。
汗は次から次へと流れ、頭がクラクラしてくる。
幼いながらも、は自分の身体が悲鳴をあげていることに気がついていた。

危ない。

と思ってはその見学室を抜け出した。
外に出ればプールよりも強い日差しが襲った。
温度は同じみたいだが、湿度はない。
眩しい光がまた、の視界を揺らす。


せめて日陰に避難しよう。

そう思ってグラウンドの横、あまり人通りがない庭へと入り込んだ。
大きな木が影を作ってくれる。
はそこにゴロリと寝転がった。


こんな長袖、脱いでしまいたい。
汗を吸う服がどんどん重たくなっているような気がする。

保健室に休んでしまえばいい。
だが、服を脱ぐように言われてしまったら。

それらをしてしまえば完璧に父親に嫌われてしまう。


それだけは。

それだけは避けなくては。



しかし、どんどん気が遠くなっていく。
病院に行ってしまえば、また、この傷がバレてしまうのに。


でも……もう……。






の意識はふ、と途絶えた。
少しばかり涼しい風が銀色の髪を撫でる。






一体どれだけの時間が経ったのだろうか。


グラウンドには子供達の声が大きく響く。
一向には目を覚まさずに、そこにぐったりと横になっていた。
汗は起きてる起きてないに関わらず流れていく。

場所が場所なだけに、誰も気付かない。



『……おい!』



しかし、誰か、少年の声が聞こえた。
の目蓋は開かない。
すると、次の瞬間、頬に冷たいものがあたった。



『…うっ……』



あまりの冷たさに身じろぎする。
プールの塩素の香りが鼻を擽った。
ゆっくりと紅の瞳が顔を出す。



『大丈夫かっ!?』



漆黒の髪と瞳。
典型的な日本人の顔。
見たことのあるそれに、は目を瞬かせた。

近所に住む少年だ。
確か名前は…。



『…高…嶺…』


『俺が分かるんだな。大丈夫か』



よく見れば、の頬に触れているのは彼のタオルらしい。
冷たいそれに、気分は安らぐ。
心配そうに表情を翳らす目の前の少年を疑問に思いながらはうん、と頷いた。



『…水泳の授業は終わったのか』


『うん、今終わったんだ。…保健室に行けるか?』


『…いや、保健室は行きたくない』


『っていうか、長袖暑いだろ…脱げば?』


『………それだけは嫌だ』


『…教室まで移動できるか?』


『今は動きたくない(というか動けない)』



高嶺清麿。
彼の提案を次々と却下する
ここまで却下されれば普通は怒ってどこかに行ってしまうものだ。
しかし、彼はそうではなかった。



『…分かった。じゃあ水分持ってくるから待ってろ!」


『…え?』


『たぶん、お前のは『ねっちゅーしょう』だと思うんだ!お母さんがいつも言ってた!だから水分摂らなきゃ!』



そこまで言うと、冷たいタオルをの額に乗せた。
軽く汗を拭き取った後、彼はさっさとどこかへ行ってしまった。
ぽかんとしたのも束の間、すぐに水の入ったコップを持ってくる。



『ほら!飲めよ!ついでに今、友達に次の授業ちょっと遅れるって言っといたから大丈夫!』



ニッコリと微笑みながらコップを差し出す。
は彼の優しさに戸惑いながらも、コップの水を口に含んだ。
冷たい液体が、身体全体に染み渡る感覚。
その気持ちよさに、自然と表情が緩む。



『……おいしい』



こんなに美味しい水を飲んだことがあっただろうか。
それほどまでに美味しかった。
後から聞けばただの水道水だったようだが、そんなことはどうでもいい話だ。



『元気になったら一緒に遊ぼうなっっ!!』



水を飲んでいればいきなりのお誘い。
名前をいきなり呼び捨てにされたこともそうだが、あまりの唐突さには顔をすぐに顰めた。



『……他のやつと遊べばいいじゃん』



唯でさえ、こんな容姿の子供に誰も近寄らないというのに。
これも同情の一種かと思った。
水は有難かったが、それは疑わずにはいられない。
しかし、彼は笑顔で言い切った。



『俺、お前と遊んでみたかったんだけどさ。でも勇気なくて…だってお前、なんか格好いいし、綺麗だし』


『…は?』



何が格好いいのか。
何が綺麗なのか。

こんな容姿、なのに。



『お前の周り、何か空気が澄んでるように見えるんだもん!声かけんの緊張してさっ!!』


『……それはお前の目が悪いんじゃ』


『俺には見えたの!!でも一回声かければもう平気!なぁ、遊ぼうぜ。俺、お前と遊びたい!!』



輝かんばかりの笑顔に、太陽の逆光が味方する。
それは。



それはまるで





太陽の、光












第2話<<    >>第4話