明るい教室に響く、担任の低い声。
出席を取り終わって、日誌が閉じられる音が響く。
いつもと変わらない、明るい話が溢れている中で影が差す場所がある。



「…先生?」


「なんだ?」



声をあげたのは、水野すずめ。
どこか不安げな表情に、担任はいつもどおりに返事をする。
しかし、どこか察しているようだ。

すずめは、思ったことを素直に口にした。



「…なんでちゃんの名前がないんですか?」



先程終わったばかりの出席の確認。
例え差別があったとしても全員読み上げるはずの担任は、今日、の名前を呼ばなかった。

飛ばしてしまったのだろうか、今迄そんなことなかったのに。
そんなことであってほしい。
だが、すずめは漠然と不安を覚えずにはいられなかった。
担任の、表情に翳りがあったからこそ。



「…だから言っただろう。の件もある、と」



反射的に、すずめは後ろのの席を見た。
言わずもがな、持ち主はまだ現れていない。
同時に、いつも机にかけてある雑巾や荷物すらないことに気がつく。
机だけではない、教室中のに関する物がなくなっている。



「…は、一昨日付けで学校を辞めて…転校した」


「て、転校っ!!?」


「はぁっ!?どーいうことだよ!!」



担任の思いがけない一言に、クラス中がざわめく。
清麿とガッシュも目を見開く。
その中でも水野すずめと金山が席を立ち上がって、声を荒げた。
カツアゲした、された二人の息がぴったりと合う。
どこか不思議な共鳴だが、担任はそれを知らずにまぁまぁと普通に声を出した。



「急な引越しだそうだ。一昨日が最後の日だった。……お前達にも言おうかと思ったんだが、止められてな」



担任が翳ったままの表情で、一昨日を思い返しながら言葉を出す。
転校に必要な書類を受理し、学校で保管していた荷物を渡した。
クラスメートに話すことを勧めたが、はすぐに断った。

同情的にお別れされたくはない、と。


と清麿はクラスで浮いた存在。
それは理解していたこと。
だからこそ、何も言えなかった。



「じゃ、じゃあちゃんはどこに行ったんですか!?せめて手紙ぐらい書きたいんで住所とか…!!」



すずめがせめて、それだけでも聞こうと声をあげる。
しかし、担任は首を横に振った。



「それが、全く分からん。親御さんに尋ねようと会社にも電話してみたが…辞めてしまったみたいで連絡が取れない。も何も言わないしな…」


「そんな…!じゃあもうちゃんと連絡取れないってことじゃないですか!!」


「う、嘘だろ…」



結局は、がいなくなったことしか分からない。
会うことも、手紙を出すことも許されない。
何せ連絡も取れない状態にまでなってしまったのだ。
すずめが叫びにも似た声を出す中、小さく金山が呟く。



「…じゃあ、はもうここに来ない…のか……?」



このクラスの中では聞きなれない、幼い声に担任は無意識に頷いた。
声を発したガッシュはその頷きを見てから持ち主のいなくなった机を見た。



『………ありがとう。じゃあな』



最初に見たときの、悲しそうな顔。
手を振ってくれ、連れ出してくれた庭。
最後に見た、消えてしまいそうな笑み。
小さく紡がれた、あの言葉。
抱きしめてくれた温もりさえ、まだこんなにも頭を占めているというのに。

清麿のことだって、きっと喜んでくれると思っていたのに。
そこにもう、はいない。



すずめが小さく泣き始める。
同時に金山が放心したかのように席に座った。
静かになった教室に小さく響く泣き声。

しかし、清麿と他の生徒達は、黙るだけで終わった。


(ヘェ…転校したのか、アイツ)


感情的になる彼らとは逆に、冷静になる心。
いや、冷静を通り越す。

とは、清麿にとっては憎い人間。
クラスにとっては浮いた存在。
見た目、行動共に金山より目立っていた不良。
惜しむ人間など、たかが知れている。


むしろ、いなくなったことに清々している。
お陰でが学校にいること自体にイライラしなくて済むのだ。

すずめの泣き声が小さく響く中、ぼそり、と誰かが声を出した。



「…良かったんじゃねーかな。が引っ越してくれて」



あまりにも小さな声だったために、誰が呟いたのかは分からない。
だが、静寂の中ではそれは言葉として酷く響く。
それが合図だったかのように、静寂はいつもの陰口へと変わった。



「そうだよ、あの赤い目恐くてさーなんつーの?何もしてなくてもビビっちゃうしさ」


「そもそも女のくせに男装して暴れまくるしねぇ」


「アイツのせいでこのクラスの格が下げられたっぽいところもあったよな」


「堂々と廊下の真ん中歩いて何様?って感じだったし…」



あちこちから零れる不満と陰口。
それが聞こえていながらも、担任は何も言わない。
まるで、まるで一昨日までの清麿への言葉のように。

やられた側としては複雑ではある。
が、清麿は口の端を小さく、誰にも分からぬように上げた。



見せたかった

聞かせたかった


この辛さを味合わせてやりたかった

自分をここへと陥れたアイツだからこそ



当の本人がいないことが、残念に感じるぐらいだ。
ドロドロとした感情が心の奥底から溢れ出す。
瞳が心が闇に侵されていき、黒い笑みが顔に貼りつく。

陰口で教室という世界が覆い尽くされる。
黒くなっていくそこに、三つの声が重なった。



「「「やめろ(て)!!!」



大きなそれは、雨音をかき消す雷のよう。
いきなりの言葉に、陰口はピタリと止んだ。
そして視線はその言葉を出した三人へと注がれた。


金山とすずめ、そしてガッシュへと。



「こんなときにちゃんの悪口言うのやめてよ!!」


「黙って聞いてりゃお前ら!!」


がお前達に迷惑をかけたわけでもなかろう!!これ以上侮辱してみろ!許さぬぞ!!」



全く共通点のないような三人がを庇う。
一人はどこにもいる女子生徒であるし、もう一人はカツアゲする不良、そして一人は子供なのだ。
どこか不思議な光景につっこむこともなく、クラスは静まる。

清麿も現実へと思考を戻す。
もうはいないのだ。
真っ黒な感情に囚われずに、ただ今を受け止めればいいだけ。

もう、はここに来ない、いないということだけを。



「…まぁ一言言っておこう。は、私にとって良い生徒の一人だった」



それだけで終わらせれば良い。
清麿の精神も冷静さを取り戻し、担任を見上げた。
面倒なことには関わらない、大人を。



「以上だ。朝のSHRは終わり」



パンパンと手を叩けば、丁度チャイムが時刻を告げる。
何事もなかったかのように動き出す空気。
清麿の周りにはまた、英雄伝を聞きたいとクラスメートが寄ってくる。

金山とすずめ、そしてガッシュだけがまるで取り残されるかのように。
顔に哀しみを映していた。















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