店の中が騒がしくて、神経を研ぎ澄ませないと聞こえない叫び声。
は、紫苑の瞳を鋭くして扉を静かに開いた。

目に映ったのは、何かから逃げる人の群れ。
形相は恐怖に慄くもの。

この平和な町に何かがあったに違いない。
は近くを走ってきた一人を捕まえた。



「おい、何があったんだ!?」


「妖怪だ!妖怪が出て人々を襲ってる!!アンタも早く逃げな!!」


「っ!?あ、おい!!」



捕まえた手を振りほどいてその人は逃げ出す。
遠くでは何かが崩壊する音が響いた。
あちこちでは悲鳴がその音と共鳴するかのように溢れる。

どうやら本当に妖怪が迫っているようだ。
は舌打ちをして店内に急いで入った。



「店長っ!!店長いるっ!!?」



すぐに飲食店の責任者を呼ぶ。
まだ店内が賑わう中、客の波を掻き分けて厨房へと急いだ。



「どうした君」



自分を雇ってくれた責任者がひょっこりと顔を出す。
雰囲気はおっとりとしている中年の男性だ。
しかし、実は結構しっかりとした人で、この店を経営しているだけある実力者だ。
今もどうやら料理の指南をしていたらしい。



「店長っ!!大変っす!『氷が多い』!!」


「な、なんだってっ!!?」



店長の顔が強張った。
『氷が多い』…お客さんを動揺させたいための隠語。
厨房や他の店員達にも緊張が走る。
その言葉の意味は…妖怪がやってくる、だ。



「本当なのか!?この……この平和な町に……」


「マジっす!!お客様の方をお願いします。俺見てきます!!」


「お、おい君!!?」



店長が止めようと手を伸ばしたところでには届かず。
オレンジ色のエプロンを勢いよくそこらのテーブルに放って外へと駆け出した。

外では未だ逃げる人の波と悲鳴で溢れかえっている。
はその流れに逆らうように走った。
あちこちでを止める声が聞こえたが、それは無視だ。

腰に巻いていた黒い羽織りを羽織る。
銀の髪は夜風に靡き、紫苑の瞳は自然と鋭くなる。


(……こんなに賑やかで、素敵な町なのに…)



夜だというのに賑やかな町のせいで光が溢れる。
しかし、前へ進むにつれて暗くなっていくのが分かる。


まるで、闇がこの光輝く町を覆ってしまうように。


血の香りが風に乗り、の鼻をくすぐる頃には、人という人はなく。
光は後ろ、遥か遠くにあるだけで。
目の前には多くの足音と、妖怪の群れがあった。



人と変わらないような容姿。
だが、特有の尖った耳と、肌にある紋章のような痣。
それが妖怪の特徴だ。

彼らは目をギラギラと輝かせて、血肉と化した人間を貪り食っていた。
そして他の妖怪達はそれを羨ましく見ながら、こちらへと獲物を探して進んでくる。

その姿はさながら…。



「キモい」



スッパリとは感想を漏らした。
もう少し表現の方法があったとは思うが、まぁ、的確な表現だともいえる。
理性を失ったかのように血肉を貪る姿は肉食の獣。
ゆらゆらと揺れて他の獲物を探す姿はまるでゾンビのようだ。

一言漏らしたに、妖怪の集団が気付く。
獲物として認識したその瞳は心なしか、どす黒く輝いているようだ。
血に染まった牙を見せて、下劣な笑みを見せ始めた。


普通の、人間ならば怖気づく光景。
が、は普通ではなかった。

慌てるでもなく、怒るわけでもなく。
ただ平然とそこに立って目の前の光景を自分なりに理解してから口を開いた。



「あのー、すんません。お食事中に失礼します。ここらで人間を襲って食ってるっつう、妖怪さんご一行様はこちら様っすかね?」



丁寧語が入っているのは先程まで行っていたバイトのせいだろう。
それでもまるで何事も知らないようにあっけらかんと言い放つ姿は、異様に映る。
妖怪達は目を白黒させた後、眉間に皺を寄せて罵声を放ち始めた。



「あぁっ!?何だてめぇは!」


「食われたくてここまで来たか…ひゃはははっ!」


「華奢なチビが俺達に何の用ですか〜?」



怒りを露にする輩。
小バカにする輩。

はそんなことを全く気にせずに肩を竦ませた。



「いやぁ、俺はあっちの店に働いているただの短期バイト君です


「んなこと聞いてねぇっ!!」


「え、じゃあ名前っすか?っていいます、よろしく〜」



ヒラヒラと手を振る姿はまるで友達に接しているかのよう。
妖怪達は「なんだコイツは」と言うような目でジロジロと見つめる。
そんな異様な雰囲気の中、集団から一歩前へ出た妖怪がいた。
それがこの集団の頭だろう。



「…てめぇは玄奘三蔵一行のヤツか?」



玄奘三蔵。
どうやら妖怪の本当の目当てはそれのようだ。
それは人だろうか、妖怪であろうか。
本来ならば常識であるそれを、は全く知らなかった。



「……は?何それ?何かの荷物?生き物?食べ物?」


「…………本当に知らねぇみたいだな」


「いやぁ、知らねぇっていうか、全く分からねぇっていうか?」


「…ククク…………そうか」



の回答を得た後、そいつは喉から笑い出す。
辺りにもそれが広まり、大きな笑い声へと化した。


(…わけがわからん)


にはさっぱり何故笑っているのか分からず、顔を顰めた。



「…そうか、それは残念だ。…そしてお前は何も分からぬまま、ここで死ぬ運命なんだな」


「……はい?何だって?」


「ここで俺達に食い殺されて、死ぬ運命なんだよ!お前はなっ!!」



その一言で、笑い声はピークに達した。
ゲハハハと不気味に、大声で笑う妖怪集団。
涎を垂らし、今か今かと襲いかかろうとする妖怪達。

しかし、は尚も冷静で。
目を白黒とさせただけだった。



「あー、俺?俺はあんたらなんかに、殺されないよ?」


「何だと!!?」


「だってあんたら、弱ぇじゃん」



淡々と告げる。
妖怪達は思いもかけない言葉に、唖然とした。

目の前にいるこいつは、十代後半の少年。
銀色の髪と、紫苑の瞳をもつ、華奢で弱そうな少年。
彼がそう言い放つのだ。
それが面白かったのか、妖怪達は大笑いを再開させた。



「おいおいおいおい!面白い冗談言い放つでねぇのガキんちょ!!」


「冗談じゃねぇっつの。むしろ殺されるのはあんたらだっつの」


「ぎゃはははははっ!!やべぇ!!腹痛ぇ!!」


「笑いで俺達を殺すんじゃねぇのか!?ゲハハハっ!!」



笑いは止まない。
星の見えない夜、この暗がりに笑い声はやけに響く。
は一つ溜め息を吐いてから、目の前の集団に目をくれてやった。



「っつかヤるのヤらねぇの?俺バイトあるからさぁ、一応暇じゃないわけよ。早く決めてくんねぇ?」



待つの疲れたんですけど、と言うと、妖怪達の笑いはやっと終わった。
むしろ先程よりも殺気立ててを睨み始めた。



「あぁ!?優しく食らってやろうと思えばこのガキが!!」


「いらん優しさはお節介ってやつだぞ。で?どうすんの?」


「てめぇを生かす理由がねぇよ!!野郎共、かかれっ!!!」



の言葉に妖怪達の理性は遥か彼方へと飛んでいった。
頭であろう妖怪の一言に、数十匹の妖怪が一斉に飛び掛る。
手にはいつの間にか武器が握られて、スピードはまぁまぁ速い。
普通の人間だったら対処の仕様がないだろう。


その光景に、自然と口は弧を描いた。
紫苑の瞳は真っ直ぐに、彼らを見つめていた。








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