少年も、紅髪の青年も走り出す。
と合わせて三人の囮。
蜘蛛もそこらをうろちょろとする彼らが邪魔なようで、面白いように引っかかる。

足が飛んでくるとひらりと避ける。
今回はただ、妖怪の目をこちらに引きつければいいだけだ。
無駄な攻撃はしない。



「あのな。ここだけの話だけどな?お前らがこんなことしなければ、俺はあいつらから逃げられたんだぞ?」



が宿屋で担当していたのは裏方。
こんな騒動さえなければ客の部屋など回らないはずだ。
例えお客として四人が来ても、きっと会わずに終わった。
今日だって、ただお酒を貰って、もしかしたら裏方で飲めたかもしれないのに。



「タイミング、悪いのよ。お前」



にとても。
妖怪たちにとっても。

三蔵一行にとったら好機かもしれないが。


自分に命令を出した法師は今何かを唱えている。
経、だろうか。
何か凄いオーラを感じる、ということは何かを放つことは間違いない。

溢れていたそれが、一つに集まるのを感じた。
これは合図。
の勘が、それを告げる。



「俺の役目、終わり。愚痴はあいつらには内緒ね」



それだけ告げると、はすぐに蜘蛛から離れた。
持っていた二つの鎌を消す。
そして足の届かない場所まで行くと、そこには先客二人。
自分と同じ、妖怪の目を引きつける役の少年と紅髪の青年だ。
何故か目がバッチリと合った途端、二人に笑顔を向けられた。

なんだか、これまた居心地が悪い。
が顔を何だと顰めると、紅髪の青年がいきなり肩を組みだした。
突然のスキンシップに、の顔が更に歪む。



「いやぁお前さっきの良い発言だったじゃねぇか。気にいったぜ」



どうやら先程の「金髪のツラ恐い」がツボにハマったらしい。
上機嫌の彼に、は「…ハァ、ドウモ」とだけ返した。
勿論片言だ。

辺りには神聖な気が溢れ出す。
はそれにつられるように、彼へと目を向けた。
法師はもう唱え終わったようで、紫暗の瞳をしっかりと見開いた。



『魔戒天浄』



ドン、と大きな音が響く。
同時にあちこちに伸びていく巻物。
長い長いそれは蜘蛛を絡めとって縛りつけ、体力気力を全て吸い取っていく。
悲鳴と共に巨体はその場に崩れ落ちた。

それでもまだ息はある。
紅髪の青年はの肩を抱いたまま、ニヤリと笑った。



「とどめぶちかましてこい、悟空!」


「っしゃあ!」



彼の言葉に反応したのはどこか嬉しそうな少年。
棒を持って跳び上がり、蜘蛛の上の空を舞う。



「いっけぇ如意棒!!!」



少年の言葉と同時に伸びる棒。
それは大きな音をたてて、蜘蛛の身体に突き刺さる。

もう、叫び声は聞こえない。
一瞬にしてソレは眩い光を放ち、砂と化して消えていった。




見事な妖怪退治。
心から関心しつつも、ははた、と今更気がついた。



「…あれ、もしかしてこの手は…」



ガッシリとホールドされている肩。
その意図。
はゆっくりと隣にいる青年を見上げると、余裕の笑み。



「そっ。逃げられないよーにってな」



妖怪退治終了。
その後、の地獄。

真っ青なとは逆に、朝日は眩しく辺りを包み込む。












「−もう行くのかね」


「ええ、長居するわけにもいきませんから」



鉄の乗り物、どうやらジープというらしいが、それはエンジンをふかし、出発は今か今かと待っているような音を鳴らす。
太陽は半分顔を出し、町を赤く染める。
美しいその光景に、は目を細めた。

勿論、色んな意味で。



「迷惑かけちまったな親父さん」


「大丈夫さ。さして損害もひどくはないしな」



ははは、と笑う主人が眩しい。
何事もないかのように笑う主人が憎い。
は遠くを見ながらこっそり涙していた。

そう、あのときからは彼らにしっかり捕まっている。
今も尚、の肩の上には紅髪の青年の腕。
それだけじゃ不安らしく、法師は縄をグルグルにに巻きつけ、今じゃ手も足も出ない状況。
の反対側の隣には少年がニコヤカに笑っている。



「ひとつお聞きしてもいいですか?」



運転席に座った片眼鏡の青年が主人に問いかけた。
なんとなくその問いかけの内容が分かったは、また一人トリップしだした。



「貴方は僕らの正体を知っても、あまり動じてなかった。もしかして初めから気付いて…?」


「ああ、なんとなくね。“気”で解るのさ。古い友人に妖怪がいてね。−親友だった…」



過去形、にするには意味がある。
は以前、朋茗の妖怪嫌いの理由を聞いたときに、この話も聞いていた。
主人は割れた眼鏡ごしに、優しく微笑んだ。



君」


「へ?」



呼ばれるとは思ってなかったので、はつい変な返事を返してしまった。
というのも、まぁ、現実の世界に今戻ったという理由だが。
主人はそれを気にせずに、口を開いた。



「君はまた違う“気”を持っているね」



核心をつく。
は紫苑の瞳を大きく見開かせた後、顔を歪ませた。

彼の言葉の意味は「は妖怪でも人間でもない」だろう。
隠しても隠しても、誰かには解ってしまう。

主人は目を閉じて、尚、微笑んだ。



「君の“気”は綺麗だ。まるで風…そして月のようだね」


「………え?」



貶される、と覚悟した心とは裏腹に届く言の葉。
はもう一度目を見開かせ、そして瞬かせた。



「私は…そのままの君が一番、素敵だと思うよ」



優しい微笑み。
会ったときとなんら変わらない表情。
そして伸ばされた手は、の銀の頭を優しく撫でた。

『差別』でも『偏見』でもない、何か。

しかしその言葉が見当たらない。
まだ驚きで瞬きをするの懐に、彼はそっと封筒を入れる。
アルバイト代だよ、と耳元でこっそり言って、彼は離れていく。


胸が温かくなり、言葉は浮かばない。
でも、この気持ちは。

伝える術は



「…ご主人…ありがとう…」



その一言しか浮かばない。
本当の涙が流れそうになりながらも、はどうにか止めて微笑んでみせた。
を見て、主人も一層優しい微笑みを向ける。
そして、そのままの笑みで、ジープに乗っているメンバーを見回した。



「『あんた達ならこの壊れかけた世界をなんとかできる』そう感じたんだが−違うかね?」



その言葉は依頼に似た願望。
いや、むしろ逆だろうか。

願望に似た、依頼。

法師は自分の頭に冠を乗せながら、口を開いた。



「案ずるな。『借り』は必ず返す主義だ」



依頼は受諾される。
素直ではない三蔵法師ならではの言葉で。