|
雨は止む気配はない。 だが、雲は次第に薄くなってきていた。 「…もうちょっと休んでいった方がいいんだがねぇ」 「そうも言ってられねーんだコレが。のやろうとしてること止めねーと」 「って、お姉ちゃんの親友さんだよね!ね、今度その人も連れてきてね!!」 「あいあい」 は既に出立の準備を行っていた。 あの家へと戻るのは一苦労なために、そのまま西へと向かう道を進むことにしたのだ。 痛み止めのせいで、今は歩くのにもそんなに苦労はしなくて済む。 荷物を持っても動けるのだ。 勿論傷口が開かないように荷物の背負い方を工夫して。 「荷物の中に食物と水、薬を入れておいたからの」 「ん、ありがと」 これで次の町までどうにかなりそうだ。 満月までまだ時間もある。 暫くは命の危険はないだろう。 三蔵一行とも別れていることだし、妖怪との戦いの危険も低い。 「…ああ、そうだ、おばーちゃん」 は思い出したかのように、蓬希へと向き直った。 何事かと紅の瞳を瞬かせる彼女の手を、両手で取る。 しっかりと握る、皺皺の手。 そして瞳をしっかりと捉えた。 「…あのな、お父さんのことだけど」 お父さん、と単語を出したのは初めてではないだろうか。 違和感がありながらも、はそのまま口を開いた。 目を見開く、彼女を見ながら。 思い出すように。 思い返すように。 あの、父親の姿を。 「……………幸せな、人生だったってさ。おばーちゃんのこと、一つも怨んでなんかいなかったよ」 紅の瞳が見開かれる。 はしっかりと手を握った。 「おばーちゃんが悔やんでいたこと、知ってたから。お父さんはそれだけでよかったんだ」 父と母を別れさせたとき、どういう心境だったか。 後悔して、泣いていたこと。 父はそれを理解していた。 だからこそ、蓬希を責めなかった。 それだけで、良かったのだ。 「勿論、俺もお父さんのことやおばーちゃんのこと、恨んでなんかいない」 父と母を別れさせたことも。 別にどうとも思わない。 真実を、知っているから。 「お父さんが俺を、ずっと捜してくれてたの、知ってる。流音に、俺の話してくれたのも知ってる」 愛おしそうに話してくれていた。 自分が愛した母親のことも、のことも。 その感情を、感じることが出来た。 悔しくあるけれど、死神の力で。 魂の、解放で。 「お父さんは、俺を、愛してくれてた」 大好きだと。 愛していると。 最期まで、魂の解放で伝えてくれた。 「いっぱい愛してくれてたこと、知ってるから」 一人の親として。 いっぱいいっぱい。 愛してくれていた。 「だから、俺は今日まで生きてこれたんだよ」 父も母も、お兄ちゃんも、町の人々も。 愛してくれていて。 その分、生きろと言ってくれていた。 「…だから、おばーちゃん、しっかり生きて。それがお父さんの願いだから」 償いなんて、どうでもいい。 しっかり生きて欲しい。 それが、父である彼の願いだったからこそ。 紅の瞳から一滴、雨ではないものが落ちる。 蓬希はそのままを抱きしめた。 「…すまんかった……すまんかったの……」 「…だから、大丈夫だって。俺は俺で、大切な人に会えたんだから」 母が死んで。 お兄ちゃんに会うことが出来た。 に会うことが出来た。 幾度闇へと落とされても、それを幸せと呼ばずして何と言おう。 は優しく老婆の背中を撫でた。 己の祖母である、彼女を。 しばらくそうした後、ゆっくりと離れていく蓬希の身体。 はそれを見計らって、しゃがみこんだ。 視線の先には、自分にそっくりな少年。 「流音」 「…お姉ちゃん」 はそのまま少年を抱きしめた。 父親が同じだけでこんなに似るとも思えないぐらい、自分に似た人間。 勿論、彼にも愛情を注いでいた父を知っている。 はしっかりと抱きしめ続けた。 「しっかり、生きろよ。死んだお父さんとお義母さんの代わりに」 よりも幼い命。 彼はどう生き、どう成長するのだろう。 身体を離すと、流音はしっかりとした瞳で、笑顔を零した。 「うん!!だって生きないと、お姉ちゃんにまた会えないもんね!!!」 唯一の姉が生きている。 それだけが涙を流さずにいられる訳。 ならば逆もあると、どこかで分かっているのだろう。 自分も生きないと、もう二度と会えなくなると。 「…そういうこった」 いい答えに、はニコリと笑った。 優しく銀色の髪を撫でる。 少年はまた嬉しそうに笑った。 「僕生きるよ!!さんにも会ってないし!!」 「ん、いい心がけ」 「僕、お姉ちゃんのお婿さんも見たいもん!!」 「………いや、それは無理だな」 突飛な会話にぴたりと頭撫でる手を止める。 から何故お婿まで話が飛ぶのか。 結婚やら恋など全く興味ないにとっては突飛な話。 しかし、流音はキラキラと目を輝かせた。 「お姉ちゃんの子供も見たいし〜」 「ナイナイ、絶対ナイ」 「孫も見たいし〜」 「ナイナイナイナイ、聞いてるかお前」 「曾孫も見たいな!!」 「だからナイっつの!!変な期待しすぎ!!」 婿も無理だといっているのに何故曾孫まで出てくるのだろうか。 もしかしたら流音は少し妄想癖が何かがあるのかもしれない。 つい反射的に頭をはたく。 「痛い!」とケラケラ笑う弟に、近くで涙が引っ込んだ祖母が同じように笑っている。 「だから僕生きるからね!!」 「…………勝手にしてくれ」 これはもう止まらなさそうだ。 は溜め息を吐かざるをえなかった。 どこか脱力感を感じながらも、視線はその下へと向かった 『死神』である、亀の姿。 「……龍、さん」 勿論、呼びかけても相手は亀だから喋れるわけがない。 だがどこか共鳴する心。 はしゃがんで、コツンと頭と頭をぶつけさせた。 普通の亀なら衝撃に頭を引っ込めるだろうが、彼はそうしない。 同じ、だからこそ。 「……お互い、辛いな」 見た目は亀でも『死神』であるだけに、仲間からは阻害される。 幾度も生死を、魂の解放の度に味わう。 苦しみも痛みも、と同じように。 命を狙われることも多々だろう。 爬虫類だからなど関係ない。 お互い、同じ場所に生きている。 闇の、中に。 「…頑張るよ、俺も…だから、龍さんも元気で」 黒い、優しい眼差し。 紫苑の瞳と、それは入り混じっていく。 お互い死なないように生きる。 死んでしまえば、また次の『死神』が生まれることを知っているからこそ。 出来るだけその数を減らせるように。 それが『死神』のプライドのようなものだから。 はようやく立ち上がった。 荷物を肩にかけて、黒い羽織りをもう片方の肩に背負うように持つ。 雨は上がらないが、明るくなっていく地上。 「じゃあ、俺行くな。…皆、元気で」 「もの」 「またね、お姉ちゃん!!!」 「ん、また」 蓬希が小さく手を振る。 逆に流音が大きく手を振った 龍は勿論、目を細めるだけ。 は彼らの後ろに燃え上がる煙を見ながら、軽く手を振って背を向けた。 これは永遠の別れではない。 また会える日が来るからこそ。 笑って、別れを告げた。 「…行っちゃったね、おばあちゃん」 小さくなっていく背中。 それはどこか大きい。 沢山のモノを抱えつつ前を向いて歩いていくを見つつ、流音はゆっくりと口を開いた。 「やっと会えたって思ってたけど、もうお別れだなんてさ。…喋ったのも、少しだけだったし」 「………」 「もっともっと。沢山喋りたいこと、あったのになぁ…。お父さんのこととか、お姉ちゃんのお母さんのこととか。お姉ちゃん自身のこととか。…僕のことも、沢山話したかったのに」 ようやく会えた、血の繋がった家族。 父が死ぬまで探し続けていた姉。 だからこそ、伝えたいことが沢山あったというのに何も話さないうちに終わってしまった。 何故、いざとなったら全く出てこないのだろう。 時間だけが、過ぎていくだけだった。 勿論、それでもよかったのだ。 会えただけでも、嬉しかったのだから。 だけれど。 「…もっと一緒にいたかったな…」 それが、本心だった。 の今の状況を知っているからこそ、止めはしなかった。 それでも、何度引き留めようと手を伸ばそうと思ったことか。 抱きしめられたとき、涙すら溢れそうになった。 俯く流音。 その銀色の頭を、蓬希は優しく撫でた。 「…また会うんじゃろうが」 「…うん…」 「も今度会ったらもっと沢山話したいことがあるだろうよ。そのとき、もっと沢山一緒にいたらいいじゃないか」 「…うん」 今回一緒にいる時間がなかったのは仕方がないこと。 だが、今度会うときは、きっともっと沢山時間が取れるはず。 そのときは、のんびりと。 お茶でも飲みながら、昔話からその時までに至る話をずっとしよう。 亀の龍も目を細めて、見上げている。 蓬希はそれにニコリと笑ってから、またが歩いていた場所を見やった。 もう、そこに彼女の姿はない。 「………お姉ちゃんは、大丈夫かな?僕は頑張って生きるけど、お姉ちゃんは死神だし、今やろうとしてることも危ないんでしょ?」 もう失いたくない。 その心が不安となって言葉に表れる。 の温もりが、まだわずかに残る身体を抱く流音。 そこに、亀の龍が擦り寄る。 大丈夫だ、と言っているかのように。 「…龍さん」 もうの姿はない向こうはどこか寂しい。 流音は足元にいる亀を持ち上げ、ギュッと抱き締める。 温もりが、なくならないように。 「大丈夫じゃろ」 「おばあちゃん」 「はしっかり今まで生きてきたんじゃ。死神であることもしっかりと受け入れて、どんなに辛いことがあっても…ここまで歩いてこれた。あっさり死ぬことはなかろうて」 何ともなさげに蓬希が言い切る。 確信を持ったそれは、まるで今までのすべてを見てきたかのよう。 紅の瞳は、が消えた土地の、そのまた向こうを見つめていた。 曇り空がゆっくりと場所を譲っていくところがある。 青空が少しずつ顔を出すそこ。 「それに……あやつらもおるじゃろ」 は知らない。 自分達は知っている。 彼女が去ったもっと向こうの存在を。 『考えたけどさァ。やっぱはだ、おばーちゃん』 『てなワケで、ちょっと様子見てから、ゆっくり行くわ』 『お世話になりました。皆さんお元気で』 『行くぞ』 そんな言葉を残して行った、四人組。 彼らの言葉と、行動が意味するものは。 にとって どんなモノになるのか 「…うん、そうだね!お兄ちゃんたちと一緒なら大丈夫だよね!」 そんなの分かりきっている。 流音ですら、分かること。 二人はお互いに微笑んで、また遠くを眺める。 亀の龍も首を伸ばして、そこを見やった。 雨がどんどん止んでいく向こう側。 そこにあるだろう出来事。 そして、未来に思いを馳せて。 |