夜。
時計の短針が九を指した頃、一つの部屋の中で一人、動いていた。

彼しかいない部屋。
テーブルの上には、銃と経文。
本当に弾が入っていることを確認して、またテーブルの上に置く。



「−ッ!!」



不意に襲う、深い、腹部の痛み。
杖が貫いたそこ。

痛みに表情を歪めながら、テーブルで身体を支える。
苦痛を堪えて、息を荒げながら、舌打ちを一つ。


このまま静かに出て行きたい。
誰にも知られずに出て、決着をつけなければ。
だからこそ、この身体に叱咤してでも。


その心だけが玄奘三蔵の身体を動かしていた。


ドアの扉が音を鳴らす。
小さなノック音。
三蔵は息を、小さく飲んだ。



「−そこのタレ目のお兄さんよ。一人でコッソリ出て行きたいならそっちの部屋の窓からどーぞ。俺、一応お前の監視役でここにいるから。俺に気付かれないように出てってちょーだい」


「………」



悟浄だ。
監視役と言う割には、実にあっさりとしている。
というよりも、出口を教えているあたり監視役とは言えない。

彼らしいといえば彼らしいのだが。
止められると思って緊張していた三蔵は、自分が馬鹿馬鹿しくなるほどだ。



「いーんじゃねえのー好きにすれば。お前の問題なンだろ?俺らにゃ止める義理もねェや」



扉にもたれかかって座っているらしく、声は近くに感じる。
のんびりとした声と、まるでこちらの心理を分かってるような言葉。
どこか悔しくて、また三蔵は舌打ちをした。



「ーどいつもこいつも、お節介な奴らだ」




悟空も。
八戒も。



『うん、強くなる』


『お揃いの傷なんて、僕は御免ですから』




『…じゃ、おやすみ。あと、早いけど、行ってらっしゃい。…頑張って』



までも。

勿論廊下にいる悟浄も。
一々言うことが、お節介なもの。

悟浄は煙草をふかしながら、口の端を上げた。



「つれないなァ。間接チューまでした仲なのにっ」



そこまで言うと、扉越しに銃を撃とうとする音。
聞き慣れた金属音に、悟浄はまた口の端をあげた。



「…とまあ、それは冗談でェ。ってか本当は俺とが間接チューで、その後とお前が間接チューだしィ?」


「…いい加減死ぬか」


「…じゃあそれも冗談でェ」



本当は真実なのだが。
今撃たれても困るとクツクツ笑いながら、悟浄は紫煙を吐き出した。

今頃はまたマイペースに酒でも飲んで眠ってるんだろう。
そんなことを考えながら、思い出したのは六道の数珠。


彼を守るかのように光ったそれ。
まるで、三蔵の心を感じたかのように。
悟浄はそれを話して、三蔵のモノだと確信してから瞳を閉じた。

札に取り付かれた六道の精神を支える最後の砦が、あの数珠。
札の力に数珠が耐え切れなくなった時。


六道は、この世から消える。





「ーま、俺は別にいーんだけどォ」



そう、これは三蔵の物語。
自分の出る幕ではない。

だが。



「お前に何かあるとうるせーのが二人いるからさぁ」



三蔵が倒れたことに、キレて暴走した悟空。
必死に止血していた八戒。

そして。



「自分関係ねーとか言ってたおチビも、一応、お前が生きるようにして?六道にも何か言ってたわけだしィ?」



杖に貫かれた三蔵を見て、雨の中走って。
すぐに自分の黒い羽織りを差し出して、止血して。
その後、よく分からなかったが三蔵に何かをして。

笑っている六道に、言いたいこと言って。



「モテモテじゃん、三蔵様」



これで三蔵が死んだら、さすがにも嫌な顔するだろう。
一応、彼の生に関わってしまった身なのだから。

三蔵は無表情のまま、服を着て経文を首にかけた。



「フン…勝手にほざいてろ」


「ん、じゃーな」



見えないだろう、軽く振られる手。
三蔵はそれを感じつつも、窓から外へと飛び出した。

冷たい空気と闇を、裂くように。












『魂が、声をあげて、嘆いてる』



玄奘三蔵の血で染まる己の手を見て。
狂い笑う自分に対しての言葉。

妖怪ではない。
が、恐らく人間でもない。

不可解なそれに、そう、言われた。



『…しっかりしろよ。アンタの大切な人だろっ!札の快楽に左右されずに、魂の叫ぶまま苦しめっ!!』



真っ直ぐな紫苑の瞳。
闇の雨を弾く、銀色の髪。
額をなぞる、血に濡れた指先。



『そんな顔で笑うのなら、魂を捨てちまえっ!!!いっそ楽になるか、それとも苦しみながら生きるかどっちかにしろ!!』



紡がれる言葉。
しっかりとした声。
それが、酷く脳裏に残る。



『…六道?朱泱?どっちにしろお前の魂はココじゃない。それだけは、覚えておきな』



玄奘三蔵の血に染まった、己の札。
それは心臓のように、苦しみと快楽を身体全体へと巡らせる。
妖怪の魂を、喰らいつくしているこれが。

己が魂ではないのなら。


それは、どこか。




痛む傷を抱えながら六道は、闇の中にいた。
昨日とは違う、晴れた夜。
しかし、この茂みの中には月の光さえ届かない。

玄奘三蔵を自らの手で殺した。
それは悲しくも、苦しいことのはずだというのに。
札は、快楽を宿す。


(江流…)


玄奘三蔵の、過去の名前。
金色の髪と紫暗の瞳と、端整な顔は変わらない。
身長も伸び、声も変わった。

過去、レアモノだと言ってくれた数珠。
首にかかるそれが。

自分をここへと繋ぎとめる。



それさえなければ、あの不可解なモノが言ったように『楽』になれるというのに。
だが、捨てる気はない。
だからこそ、快楽と苦痛の間で自分は揺れている。



いっそ苦しみに溺れられたら。

イッソ快楽ニオボレラレタラ。



どれだけ。

ドレダケ。



良かっただろうか。





終わったように感じられる人生。
それは玄奘三蔵を殺してしまったから。

札はまた苦痛を起こし、また妖怪の魂を欲するだろう。
そのときはもう。


自分ではない。
狂気を纏って妖怪を喰らい尽くすモノになろう。

『楽』に。

なるだろう。





「っ!?」



喪失感、虚無感、多くの感情に囚われる中、六道はまた違う感情に支配された。
焦燥感。
はたまた、使命感だろうか。

数珠が、何かに共鳴されるかのように、どこかへ導く。
誰かの、声が聞こえる。



「…誰、だ…」



知っている人。
大切な人。

誰かだなんて、分かっている。
死んだ彼が奈落の底から呼んでいるのなら、それでもいいとすら思える。


己は、罪深きモノ。
魂など、この札と同化したも同じ。
死んでも構わない。

そこに、江流。
光明三蔵法師。

二人が、いるのなら。


自分を殺してくれるのが。

彼らであるのなら。





痛む傷を感じながらも、足は自然と走っていく。
息切れも、汗も、何もかも感じずに。


ただただ、数珠の示す向こうへと。














朝陽が昇る頃。
森の中には一つの銃声が響いていた。

鬱蒼とした茂みは、朝陽の光を遮るようにも見えた。
だが、確実にそれはそこへと届く。


土の上には、優しい笑みを残した六道の死体があった。
数珠はバラバラに、あちこちに散らばって。
額に銃をあてて、撃たれたもの。

その火傷の痕は、『そこ』に『朱泱』が在ったと語っていた。