触れさせはしない。

死なせは、しない。


覚悟を決めた八戒の深緑の瞳。
清一色はそれを見やりながらも、またクツクツと喉の奥で笑った。



「−じゃあ、我が触れなければいいんですね?」


「な…?」



確かに、言葉を読み取るならば、そういうことになる。
さすがにそう返されると思っていなかったために、八戒は小さく汗を流した。

勿論、呆れとか、そういう感情ではなく。
嫌な予感の。
冷や汗。



「今までのはほんの前戯にすぎませんよ−さあ、我に見せてください」



ゆっくりと開かれる、清一色の瞳。
その瞳の奥。

深い闇の色の中。



「貴方が悦びに悶え苦しむ表情<カオ>を」


「!!」



狂喜に咽び悦ぶ、低い声。
瞳の奥に浮かぶ何かと、その声に八戒の身体が一瞬、震えた。



「ぐぅあぁあ…ッあ!!」


「八戒…!?」



頭を抱えて、苦しみ始めた。
超音波のように頭を締め付ける何か。
しかしそれは八戒にしか届いておらず、と三蔵には一体何が起こったのかわからない。

ただ、悶え苦しむ彼の姿しか。



「−八戒!?おいっ一体どうし…」


「−来ちゃ駄目ですッ!!」


「何?」



心配して近づこうとした三蔵に、苦しんでいる彼から制止の声がかかる。
しかし、それは既に遅かった。

伸ばされる腕は、八戒のもの。
素早く動いたそれに、三蔵もも反応できない。
信頼していた、その腕だからこそ。



「−ッ!!?」


「ぐッ!」



三蔵の視界はぐるりと回転する。
逆に、の視界は全員を遠ざけた。

八戒の手は、を思い切り突き飛ばして木へと身体を打たせて。
その後、三蔵の頭を地面へと押さえつけたのだ。
素早い、速さで。



「イッ…」



大きな音をたてて、はその場に崩れ落ちる。
全身を駆け巡る痛みに、意識が遠のきそうになりながら。



「あ…ッ」


「…さん、ぞ…っ?」



地面へと伏せられた三蔵の首には、八戒の両手がかかっている。
首を、ギリギリと絞めて。

ただでさえムカデの毒や、魂の解放で動きにくい身体。
背中を強く打って、忘れていた痛みも呼び起こされ、頭もグラグラとおぼつかない。
揺れる紫苑の瞳には、その衝撃な映像が映っているというのに。

動かない、身体。



「はっ…かい…やめ…っ」


「腕が…」



八戒の表情は戸惑いのまま。
ということは、意図に反して動いているということなのだろうか。
だとしたら、清一色が催眠術か何かをかけたのか。
清一色を睨みつけると、彼は当たり、とでも言うように笑ってみせた。



「実に脆い生き物ですねェ。心の隙間に入り込むのはこんあんいも容易い」


「−ッ嫌です…!!」


「なぜ?人殺しなんて雑作もないことでしょう。その手を汚す死の数が、またひとつ増えるだけですよ…」



嫌がっている気持ちとは逆に、八戒の腕の力が増していく。
清一色を倒さなければ。
まだグラつく頭で、四つの鎌を出せたらいいのに。

しかし、それは逆に彼らの命を刈り取ってしまうかもしれない。
それほどまでにも扱うのが難しいそれ。

ならば、せめて彼らの傍に行かなければ。
痛む、動かぬ身体で、は地面をゆっくりと這い始めた。



「−思い出して頂けましたか?我のことを」



逆に、清一色は悠々とそこに立っている。
先程の言葉からして、八戒の過去の中に、彼の姿はあったのだろう。
三蔵の、呻き声が森の中に小さく響く。



「我は貴方が生まれ変わった刹那に立ち合ったんですよ」


「−あの時、貴方は死んだはずです。僕が殺した…!!」



切羽詰まった八戒の声とは逆の声。
それが酷く憎らしい。
彼はまだ、笑みを零したまま。



「確かに我は貴方にものの見事に斬り裂かれましたよ。でもまあ事切れる直前にコレ、埋め込んだんですよ」



袂から取り出したのは麻雀牌。
そこに書かれていた文字は『命』という、尊い文字。



「貴方に受けた傷口から、この身体の中にね」



式神の中に埋め込まれていたそれ。
自分の体にそれを埋め込んで、魂無き身体にした。

自分を、自分の式神にして。
不死を得て。
そのときの感情だけを、この世に残して。



「…何故そんなことしたかわかりますか?」



命を育む、土の香り。
雨をも、血をも吸い取るそれ。
痛みと息切れに、はただただ、彼らへと向かっていく。



「貴方に会う為ですよ、猪悟能」


「−!!」



狂気、狂喜。
歪められた愛憎。

それは執着を呼び、崩壊を望む。
己の前だけに見せられる、負に満ちた感情。
美しく咲き誇る花を、自らの手で乱して朽ち果てさせる。

それが、心を満たす全て。



「我は元々何事にも執着しないタチでした。他人に興味を持ったのは初めてなんですよねェ」


「…やめてください」


「貴方の狂気に歪む顔が見たい」


「…嫌だ」


「悶え苦しむ声が聞きたい−」


「嫌です……!!」



首を絞める腕は酷く強く、骨が悲鳴を上げる。
まるで、否定すればするほど強くなる、反比例の法則のように。



「だめ…だ……!!これ、以上は…八戒っ!!」



自分の手は届かない。
声も、何もかも。

赤の、他人だからだろうか。
それとも。


清一色と同じ、闇の住人だからか。






「全てを奪って、壊したい」






囁くようなその言葉に。
共鳴するかのように、何かが事切れる音が響いた。

力なく崩れる、三蔵の腕。
地面へと落とされるそれにはもう、何もない。
八戒の腕が、首から外れる。



「−さ…ん、ぞ…?」



動かない

声も、ない


八戒の両手が


彼の、首を


命、を









「……う…うあああああ!!」






罪の意識が彼の心を蝕んでいく。
喰い散らかしていく。

闇へと


壊れて



はその叫びを、目を見開かせて見ていた。
紫苑の瞳を、グラグラと揺らして。
傍には、動かない三蔵がいて。

自分の、するべきは、一体何なのか。


決まって、いる。



「…清、一色ォォ…っ!!」



魂無き身体の彼を、倒すこと。
『死神』の名に懸けて。

赤の他人に、懸けて。



「−おや、お仲間がいらした様ですね」



遠くから聞こえる、悟浄と悟空の言い争いのような声。
このままでは彼らまで危害が加わる。
それだけは、避けなければ。
八戒のためにも。

は這い蹲った身体を立ち上がらせた。
その姿に、清一色は感心したように溜め息を零した。



「あまり動けないクセに、さすが『魂』の子ですね……この『魂』無き身体が許せないというところですか」



手には二つの鎌。
動かない身体に叱咤して、フラフラになりながらは走った。
嘲笑う、魂無き身体の元へ。



「…イイでしょう。彼らの前で貴方を殺すのも、一興です」



瞳を細めて、楽しむ。
その感情は歪められたまま。

清一色は戸惑うことも、焦ることもなく八戒に話しかけた。
震える、彼へと。
動けない、彼へと。



「もう自ら動く気力もないですか?お手伝いして差し上げますよ」



震える手を握り、清一色は慈しむかのように。
甲に、口付けを落とす。



「さあ、全てを失いましょう」



死の宣告。
ビクリと一瞬震えた身体に、命令が走り抜ける。

彼の手は、へと向かった。