「−もう一度、死んで頂きます」



戦闘態勢に入る八戒の後ろ姿。
もう迷いはないそれに、はのんびりと紫苑の瞳を開けているしかなかった。

八戒が、過去を断ち切るための戦いになるのだから、自分には関係ない。
しかし、もし失敗したときのためには起きていなければいけない。
『死神』として。
魂無き身体を土へと還させなければ。



「それは構いませんけどね。気功術だけで我を殺せるとお思いですか?」



余裕とばかりに、肩を軽く揺らす清一色。
確かに今のままでは倒せないようにも思われる。
ある意味、不死の身体だ。



「−それとも制御装置を外して闘いますか。あの時の様に」



そこに思いいれがあるのか、どこか期待しているような表情。
しかし、八戒の深緑の瞳は真っ直ぐに前を向いている。
妖怪制御装置を外す気配もなく。
足は、動き出す。



「!?」


「八戒…!?」



気功を放つわけでもなく、ただ突撃していく。
さすがにそれは誰も予想していなかったために、息を飲む面々。
は、ぼうっとその光景を見ていた。
何の表情もなく。



「ははっ今度こそ血迷いましたか!?」



懐から点棒を投げようとした左手を、拒むように左手が掴む。
無防備もいいトコだ。
清一色が嬉しそうに笑う。

しかし。



「−!?」



表情が、一変する。
左手で押さえたそれを、しっかりと右手で掴んだ瞬間に。



「制御を外す必要はないでしょう」



低くも冷静な声。
三蔵のようなそれに、共鳴する深緑の瞳。
その奥の、光が。

強く輝く。



「気功術には、応用編があるんですよ」



空いた左手には、気が溜まっていく。
力強くも美しい、それ。
形を成した途端、音は響いた。



「三年前、僕が斬り裂いたのは、ここでしたね」


「!」



気付いたときにはもう遅い。
大きな音はもう既に鳴った後。

八戒の左手が、気功の力を纏った刃のようになって。
清一色の身体を貫いた。
流れる、紅の液体。



「−…猪、悟、…能…?」



突き出た拳は血を纏う。
その中には、ある一つの牌。
まるで時が止まったような瞬間に、深緑の瞳はそれをしっかりと確認した。



「違いますよ」



その名前は過去のもの。
罪は消えることはないけれど。

それを持って。
今在るのは。


彼らが呼ぶ、名前は



「−僕は、『猪八戒』です」



手の中にある牌を、握り潰す。
砕け散るそれは地面を小さく音をたてて叩く。
身体を貫いた左腕を、八戒はそのまま清一色の身体を裂くように取り出した。

魂無き身体は、式神の媒体を失って。
砂のように崩れ落ちていく。

その身体で。
清一色は執念深くその手を八戒の肩に置いた。



「…まったく、貴方には失望しましたよ」


「ありがとうございます」


「もっと我を楽しませてくれると思ってたのに」



その感情だけで、ここに残ったというのに。

狂気と、狂喜。
狂った愛憎。
歪んでいく気持ちを残して。

それが叶えられないまま。
砂となって崩れ落ちていく。


は無表情のものから、顔を顰めるような形になった。
どこか同情すらしてしまう。
叶えられたとしても、きっと、これ以上に虚しいものになっていたことを知っているから。



「あいにく最近自虐的傾向に飽きたんです。正確に言えば、身近な方々に感化されたんですが」



八戒はどこか、誇らしげに口を開く。
語る彼の瞳は清一色を見つめながらも、その中に彼らを映す。

全く違う境遇でも、同じように苦しんで。
今を生きる彼ら。
『八戒』と呼ぶ、太陽を。



「この手がどんなに紅く染まろうと、血は洗い流せる」



罪で汚れた手も。
血でくれないに染まる手も。
穢れていく身体も。

それがどんなに精神を蝕んでも。



「そうやって生きて行くんです、僕らは」



洗い流して。
死んだ人の分も、殺した誰かの分も。

生きて





「−クク…そう来ましたか」



死んだ身体。
止まった感情と時間。
それはゆっくりと、動き出す。



「…やはり我は心底、貴方が嫌いですよ。猪八戒」



猪悟能ではなく、猪八戒と言い直す。
そして、好きではなく嫌いだと。



「貴方の様に生きる匂いしかしない、偏屈な偽善者は」



もう彼は、自分の知る猪悟能ではない。
罪を纏って、壊れゆく彼ではない。
自分の感情を、ここまで高めてくれた彼ではない。

この感情に行き場はもう、どこにもない。


清一色は、ちらりとを見やった。
己の魂を解放し、送り出してしまった死神。
魂無き身体だからこそ、反射的にわかるその存在。

憎きその存在。
しかし、彼女は未だ同じ闇に住む、住人。
死を纏いながら生きる、モノ。



「…『死神』。貴方はまだ、好きですけどね」



そう言うと、同じ住人であるは、ただ。
紫苑の瞳をゆらゆらと揺らしながら微笑んでいた。
悲しみを、纏わせて。


それが酷く。
清一色には心地よく感じた。



「−奇遇ですね。僕も貴方が嫌いです」



清一色の瞳にはもう、誰も映らない。
耳にももう、何も届かない。
全てが砂となって消える中、八戒は静かに、言の葉を紡いだ。



「僕は貴方の様な、過去も未来もない生き物じゃありませんから」



過去に消えた魂。
捕らわれたままの感情。
今を生きられない過去の残像。

深緑の瞳に映っていた清一色の姿はもう、どこにもない。
砂はサラサラと風に流れていく。
土へと還って。



「…お帰りなさい」



誰にも聞こえないような声で、は小さく囁いた。
風が優しく、髪を撫でる。

一時の感情が、魂へと還っていく。
それを肌が感じて。
『死神』の単語が、心を締め付けていくのを。
しっかりと、感じながら。


白い霧が明ける。
闇から解放される森。
太陽の光が、大地を照らす。

それが酷く眩しく感じて。



「…あー、眠いや」



そんなことを言って、は瞳を閉じて、闇を見つめた。
真っ暗な、瞼の裏。


精神的、体力的な疲れと、痛みと、魂の解放と、ムカデの毒と。
多くの要因が集まって、意識がトびそうになってくる。
ハッキリ言って、今立っていることすら奇跡みたいに思える。



「………」



息がの口から零れる。
安堵のものか、溜め息のものか。
まるで寝息のようなそれ。
しかし、それを考えることすら、出来ないでいる。

薄れゆく意識。
なくなっていく、力。
まるで光がそれらを吸収していくかのような錯覚。


それに逆らうことは出来ない。



はそのまま、それに従った。




!?」



誰の声も、聞こえないまま。
抱えられた腕も、知らないまま。

ただ、眠りへと。







いきなり倒れそうになったの身体を支えたのは、八戒だった。
深緑の瞳は落ち着いて、容態を見る。
斑のような咬まれた痕が痛々しい。

しかし、口から零れるのは健康的な寝息。



「…寝ましたね」


「なんだよ!ビックリしただろ!」



悟空は思い切り大きな息を吐いた。
腕に抱えられるの顔は無表情のまま瞳を閉じている。
三蔵と悟浄までも溜め息を吐く中、八戒は苦笑を零した。



「まぁ、色々大変でしたから、疲れたんでしょう。僕もすっかり巻き込んじゃいましたしね」



清一色に拉致され、ムカデの毒に侵されて。
その上、動かない身体を動かして。
八戒に突き飛ばされ、首を絞められるという演技をして。
そして尚、精神的にも、きっと。



「あー、とにかく、森出るか」


「そうだな」



誰もツッコまない。
が、清一色に『死神』やら『魂』の子と呼ばれたことを。

何ともなさそうに歩き出す彼らを見ながら、八戒は小さく笑った。
未だ腕の中で眠るを、背負って。
あの、女の子だとわかった満月の夜のように。



「おやすみなさい、



優しい声色が耳に届くとき。
は声も出さずに、意識もそこにないまま、小さく頷いた。