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清一色の襲撃から半日。 それは短くも長い、時間。 洞窟の外は、真っ白い霧に包まれている。 視界はゼロに近い。 そんな様子を見ながら、紫暗の瞳は、起きたであろう八戒を見やった。 「起きたか。人を治癒して倒れてちゃ世話ねーな」 「……ここは……」 八戒にかけられていたのは、毛布との黒い羽織り。 毛布や水は先程、起きた悟浄が取りに行ってきたものだ。 ゆっくりと起き上がる八戒は、伺うように辺りを見回した。 「あれから半日程しか経ってない。まだ森の中だ」 「そう…ですか」 何日か前の新聞を眺めながら、そんな会話をする。 眼鏡もそれも、取ってきたもの。 見慣れた新聞の文字も文も覚え始めてしまっている。 しかし、何もしないよりはマシなのだろう。 ただ、八戒の目覚めと、戻らない悟空を待つよりは。 「−すみませんでした」 「霧がひどい。なんにせよ、今は進めんさ」 「悟浄は?」 「残念ながら御健在だ。今は野暮用で出てるがな」 ランプの中に小さく揺れる炎。 幾分か落ち着いた八戒の声に、三蔵は淡々と返した。 野暮用の内容は言わない。 それはどこか察することが出来るからだ。 言ったところで、八戒の精神がまた揺らぐのを知っているから。 「…他人<ひと>のことより、手前の心配をしたらどうだ。あの変態易者に覚えは?」 勘ぐられないように、話題を変える。 八戒はそのまま、ゆっくりと考え始めた。 あの、易者の顔を。 「いいえ。…でもむこうは僕の過去を知っていて、そして、僕を憎んでいる」 「百眼魔王の一族に生存者がいたという噂も、あながち嘘ではなかったってことか」 「………」 八戒の過去を知っているからこその、言葉。 猪悟能、という名前。 過去を知る者なのは明白。 八戒は自分の片目に眼鏡をかけて、過去を巡らせた。 深い、緑の瞳の奥に。 「一人残らず、殺したと思ってました」 血に濡れたこの両手で。 過去で、夢で幾度も。 多くの者を殺す。 愛する者を、失う。 「ツメが甘いんだよ」 逆に眼鏡を外す三蔵は、揺れる彼の精神を声から察して、軽くそう言ってのけた。 彼もまた、八戒の過去を知るものだからこそ。 「坊主の台詞かぁ?それ」 洞窟の中にいなかったはずの声が、その空気を柔らかくさせた。 入口には、撃たれたはずの悟浄。 歩き回るあたり、ぴんぴんしている。 「悟浄」 「駄目だわ、スゲー霧で。この辺一帯捜したけどよ」 「捜…したって何を…」 野暮用は失敗に終わった。 それをその言葉で軽く言ってのける辺り彼らしい。 しかし、八戒は何かを察したように目を見開いた。 いつもいるはずの、悟空がいない。 それに。 「悟空は…?悟空がどうかしたんですか!?それに、は…!」 自分にかけられていた黒い羽織の持ち主がいない。 この状況で別れることはまずないはず。 焦る心をよそに、三蔵と悟浄は暢気に「何お前言ってなかったの?」「黙れ」と会話をしている。 三蔵の思いやりは悟浄によって消えてしまったため、幾分がご立腹だ。 冷静に。 面倒臭そうに、三蔵はゆっくりと口を開いた。 「−八戒が倒れた後、悟空は一人で水を取りに行って、消えた。ジープごとな」 転がっていた水筒。 置き去りにされた荷物。 それが導く答えは、それ一つ。 「はしばらくして悟空を捜しに行って、そのままだ」 悟空が消えただろう時間から、数時間後。 出て行ったは、何も証拠なく、消えた。 出来るだけ早く戻ると、笑って。 「−ッ」 三蔵の言葉を聞いて、八戒はすぐさま毛布を取り払った。 立ち上がろうとするそれを、悟浄がすぐに押さえつける。 「!?」 「だからここにいろっての!奴の狙いはお前なんだから」 だからこそ、八戒を一人にしなかった。 悟浄と三蔵がお互いに交代で見張り、辺りを捜していたのだ。 しかし、それで治まるはずもない衝動。 八戒は深緑の瞳を鋭くして二人を見上げた。 「これ以上僕のせいで、誰かが傷付くのを見てろって言うんですか!!」 きっと無事では済まされない。 ヘタしたら、死んでしまうかもしれない。 己の、せいで。 グラグラと揺れる視界と精神。 それを、三蔵は酷く冷静に見やっていた。 脳裏には、『無一物』という言葉を宿して。 口を、開いた。 『仏に逢えば仏を殺せ』 『祖に逢えば祖を殺せ』 何物にも捕らわれず、縛られず ただあるがままに、己を生きること 禅道の教えのひとつであるそれは、先代三蔵が彼へと説き継がせた、たった一つのもの。 彼が何を思い、どういう意味で説いたのかは知らない。 だが、それを三蔵はそのまま受け取っている。 そのままの、意味で。 「だから俺は殺し続ける。俺の行く手を阻む、全ての物を」 何物にも捕らわれずに。 何物にも縛られずに。 「それが誰の敵であれ、同じことだ」 あるがままに、生きるために。 誰のプライドだろうが敵だろうが関係ない。 阻むものは、倒す。 幾分か落ち着いた深緑の瞳を見てから、三蔵は背を向けた。 入口へと、歩んでいく。 「わかったら頭冷やしてさっさと体調を整えるんだな。足手まといは必要ない」 今は、冷静になれる時間を。 体調を、整えるためのものを。 一人にすることで。 八戒は出て行った二人を見ながら、己の両手を握り締めた。 自嘲の笑みを、浮かべて。 「…その通りですよ。−まったく」 彼の膝の上。 主のいない黒い羽織りだけが、その顔を見やっていた。 一方、外へと出た悟浄はニヤニヤと笑っていた。 煙草を吸いながらも、その表情には締まりがない。 三蔵は訝しげに、口を開いた。 「…何がおかしい」 「いんや別に?玄奘三蔵サマの説法が聞けると思わなかったからよ」 「死にたくなかったら二度と口にするな」 どうやら恥ずかしいのは三蔵らしい。 だからこそ笑みが増すというもの。 銜えられた煙草を見て、悟浄は笑みを浮かべながらもライターに火を灯した。 ゆらりゆらりと揺れる火。 白い霧の中でも、それは分かる。 「−で、どーすんの?」 「何が」 「サルだよサル!あとおチビ!何がじゃねーっつの」 「……」 差し出されたライターの火を貰い、煙草の先に火がつく。 煙が霧へと化していく。 二人で、紫煙を口から吐き出す。 癖になるこの苦味。 それは自分達を冷静にさせる。 「悟空とは行方不明。霧は明けない。八方塞がりだな」 「なーんか清一色<アイツ>の卓の上にいるみてえで、ぞっとしねーぜ」 麻雀のように。 混ぜられに混ぜられて。 いらない牌は、捨てられていく。 「さしづめ、俺ら四人…もしくは五人の誰か一人でも欠けたら奴の勝ちってトコか?」 本来ならば三蔵一行として四人だが、八戒の精神を壊すのにも重要な役割となるかもしれない。 それを意味するかのように、戻ってこないのだから。 悟浄は紫煙を思い切り吐いて、口を開いた。 「死なねェよ。俺負けんのちょー嫌い」 麻雀も、賭け事も。 喧嘩も、何事も。 それは、三蔵も同じ。 「…『ちょー』はやめとけ」 「じゃ何?」 「『激嫌い』」 負けず嫌いは、お互い様。 そんな会話は白い霧へと、溶けていく。 |