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「『魂の解放』…?何だそれは」 「知らなくても無理はないさね。…普通の人達は知らないのが当然じゃからの」 聞き慣れない言葉に三蔵が聞き返すと、蓬希はちらりと視線をベッドへと向けた。 の顔を覗き込んでいた流音が、いつの間にか眠っている。 亀の頭を撫でていた手は、いまや枕代わり。 やれやれと溜め息を零しながらも、また視線を彼らに向けて口を開いた。 「死んだ者達の魂はどこへ逝くのか知っとるかの?」 「…あの世じゃねェの?天国とか地獄とか?」 いきなりの質問に、悟浄が適当に答える。 一体何の話なのかさっぱり見えない。 蓬希は小さく感心した。 「そうか。ワシは知らん」 「………は?」 「ワシは知らんのじゃよ、死んだ魂の逝く先なんざ。まだ死んだことがないんでな」 あっけらかんと言う蓬希に、全員が顔を顰めた。 全くもってその通りだが、一体何の話だったのだろうか。 「じゃ何、今の何の質問だったワケ?」 さすがにこれの意味がないのなら、答え損だ。 悟浄が少しばかり睨んでいるが蓬希は何の反応もなし。 ただ真剣な眼差しのまま。 それに全員が黙らざるを得ない。 息を飲む音すら聞こえる静寂。 「……分かるのは、一つ。魂はあの世だかどこだかに逝く前に…『死神』に集まるのじゃよ」 小さく、その言葉が紡がれた。 全員が目を大きく見開かせる中、蓬希はまた目を閉じた。 瞼の裏にはあの光景がある。 夜の、あの闇の中。 銀色に輝く満月が高く昇る瞬間。 「満月の夜、満月が高く昇る瞬間、魂は『死神』に集まる。蛍のように、…いや、それよりも美しく輝いて」 今でも思い出せる。 多くの美しい光が『死神』である幼いの身体を取り巻く光景を。 夜だというのにそれは輝かんばかりのもので。 銀色の髪は、それは美しく輝いて。 幻想的な世界が広がっていた。 深い、暗い夜の闇 それを照らすべく輝く満月が天の中心へと降り立つ 途端にの身体の周りは手の拳ほどの大きさの光が 彼女を守るかのように溢れだす 数えきれないその光の束は 満月の光よりも何よりも 美しく輝く 「そして『死神』の中に輝きながら入っていくんじゃ」 取り巻く光は輝きを増して 競うかのように中へと入っていく 『死神』が光に包まれて、月よりも輝く もしかしたら太陽よりも綺麗に しかし 綺麗な光景なのに。 聞こえるのはに悲痛な叫び声で。 「…そうすることで『魂』は自分の生い立ちを『死神』に置いていく。生まれたときから、死に至るまでの過去、感情、環境、苦痛、全てを伝えて」 身体を抱きしめて。 泣き叫ぶ。 見開かれた瞳に、満月は映らない。 身体全体に、精神全体に伝わる多くの情報。 それは視覚となり、嗅覚となり、聴覚、味覚、感覚へと変わっていく。 「嬉しさ、悲しさ、怒り、憎しみ、愛しさ、痛み、全部を伝えていく。まるで全部自分がそれを生きたかのように感じるんじゃと」 何度も繰り返す生と死。 一つの魂が辿ってきた道筋を全て。 だから泣き叫ぶ。 感情も過去も苦痛も、全部抱きしめて。 それ以上に、その魂はもうここにはいないことを感じながら。 「それを、一ヶ月で集まった魂全て、受け入れる。そうすることで、魂はここから去っていけるんじゃ」 流れるように。 走馬灯のように。 全部が流れていく。 一つの魂がそれぞれ入るのではない。 多くが一斉に入ってくるのだ。 それなのに全部がハッキリしていて、混乱を生み出しそうになる。 「それが、どんなに体力と精神力を使うか、ワシには分からんよ。だが、朝が来るまで動くことが出来なくなるんじゃ。涙を拭うことも、汗をも拭うことすら出来ずに」 他人の魂が生まれてから死ぬまでを全て。 受け入れる。 それを沢山、沢山。 まるで自分が体験していたかのように。 八戒と三蔵は、そこで目を見開かせた。 最初の満月の日、見つけたとき。 汗も涙も拭わずに、動けないと倒れていた。 そのまま、意識を失って。 まさか、その『魂の解放』とやらの後だったのでは。 そう考えると納得出来る。 それだけに、気付かなかった自分達に自己嫌悪すら感じられた。 「それが…『魂の解放』。『死神』である証じゃよ…どんなに辛くとも逃れらん。『死神』に生まれてしまったからこそな」 逃げられない。 死ぬまで。 『死神』でなくなるのは、死んだとき。 この世からそれがいなくなったとき。 新たに、『死神』が生まれる。 「…何故、そんな存在が…」 分からない。 何故人間と妖怪だけでなく、『死神』が。 三蔵が顔を顰める中、老婆はゆっくり首を振った。 「それは誰も分からん。ただ『在る』だけじゃよ…ワシ達と同じでな」 命がある理由なんて、どこにもない。 ただそこに存在しているだけだ。 生きて、いるだけだ。 妖怪が妖怪であるように。 人間が人間であるように。 ただ、『死神』が在る。 誰もが口を噤む。 視線は自然とへと注がれた。 未だ眠りについたままの。 目を開かせない、が。 「…『死神』は、の他にも?」 傍らで眠る流音を見ながら、八戒は静かに声を出した。 それは暗に彼もそうなのでは、ということを意味している。 だが、蓬希はゆっくりと首を横に振った。 「妖怪と人間の『死神』はだけじゃ。あとは種類別に各々一つの命として在るだけじゃよ。…龍さんも一部の爬虫類の『死神』じゃ」 「あの亀も…?」 「そうとも。だからこそ満月のとき、龍さんも魂を解放する。…何百年も、先輩じゃよ」 亀はの傍から動こうとしない。 ただ首を伸ばし、此方を窺ってからまた視線を戻すのみだ。 死神同士だからこそ、何か感じるのだろうか。 誰も、そんなことは分からない。 「…そんなん、俺、全然知らなかった…」 ぼそり、と。 小さく零れたのは悟空の言葉。 膝の上にある自分の拳を握りしめて、悔しそうに顔を歪めて。 蓬希はその姿に、目を細めた。 「が正体のこと隠すのは分かってたけど……そんなこと、やってたなんてさ……絶対、辛いハズなのにそんな素振りも見せねェし…」 正体を隠すだとか、そんなことどうでもよかった。 だが、その正体を知った今、知らなかった自分がひどく悔やまれる。 ずっと一緒にいたのに。 辛いことだとか、全然気付かなかったからこそ。 「…しょうがないことじゃよ。『魂の解放』はそれだけ弱みを見せることじゃし…何より『異端』は誰もが恐れる」 自分とは違うことが恐怖で。 だからこそ『異端』はいつも除外される。 人間でなくて、妖怪でもない。 ただでさえ敏感な彼らに『死神』を分かってくれなど、到底無理な話。 だからこそ、は距離を取った。 違和感を感じないように、悟られないように適度な距離を。 「恐れられるだけならまだ良い。…下手したら殺されよう」 恐怖は打ち消す。 そのための手段を取る輩は必ずいる。 一つとして、存在を否定し、殺してしまうということも。 「…だから逆に殺すってことなのか」 『壁』を壊そうとするなら逃げる。 『領域』を侵そうとするなら殺す。 そう断言したのには、そういう理由があったから。 殺される前に。 殺すと。 三蔵の言葉に、老婆はゆっくりと頷いた。 立ち上がり、歩いて、少年の肩に軽い掛け布団をかけて。 「…『死神』だと分かった途端、大切だった者さえ刃を向ける。そんな中を、生きてきたんじゃよ」 だからこそ、大切な者は作らない。 関係もいらない。 誰も分かってくれなくていい。 一人で、孤独いい。 孤独で。 「…じゃあ、あの町民達は」 「ああ…あれは勝手に大切な者が『死神』に理不尽に殺されたと思っとるだけに過ぎんよ」 「では、真実は違うんですね?」 「恐らくはの…己を殺そうと思う者がいたら、無意識にでも『死神』としての本能で殺してしまうことも有り得るのでな」 ハッキリとした確証はない。 だが、が自ら望んで殺すことはないはずだ。 そう信じるしかない。 紅の瞳には、眠るが汗をかいているのが見えた。 魘されているようで、息も荒い。 傍にあったタオルで静かに、優しくそれを拭き取る。 苦々しく、蓬希はそのまま口を開いた。 「真実なんぞ、時が経てば歪んじまうもんさ…誰の心の中でもの」 誰が悪かったかなど。 その当時に生き残った者さえ分かるまい。 心の中で勝手に理解した答えしか、出てこないのだから。 |