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『蜂窩』 ここにその町があるわけがない。 せめて同じ名前で、違う町だったら分かる。 だが。 吐き気すら催すぐらいに、同じだ。 岩場の形、間隔。 町の匂い、感じ、空気、色。 幻術かと思い、そこらに何か仕掛けがあることを期待して探してみたが見つからない。 (気持ち悪ぃ…) 走り続けていたからでもある。 だがそれ以上にこの戸惑いと既視感が精神を蝕んで止まない。 それでも足を止めずに、辺りを凝視し続けた。 過去が、背後からじりじりと自分を追いつめていく。 (なんで…) この町はもっと東にあったはずだ。 そして、滅んだはずだ。 それなのに (なんで………っ) 町から出た墓所まで、名前も石も同じで。 自分が過去、隠れて泣いていた町外れの秘密の岩場の洞窟まで。 『ああ、ここにいたのか』 「……違う」 町の中までは見ていない。 入口は二つだけ。 外から見ただけでも、それは全く同じで。 『〜今日は何して遊ぶ〜?』 「…違う…」 夢であればいい。 だが、自分の拳を岩場に当てれば痛みと、その角で肌が裂けて温かい血が流れる。 それは、現実であると意味していて。 『そう。コレがゲンジツ』 「違うっ!!」 見知った声が脳裏に響く。 過去であるはずのそれが大きく、語りかけてくる。 否定するように声を荒げて、再び拳で岩を殴りつける。 ガッという小さな音は世界に響かない。 痛みだけが、右の拳に感じられるだけで、どんどん境界線が危うくなってくる。 この町は存在していると、言っている。 しかし、それを受け入れては。 (だって…だって兄ちゃんは死んで…) 自分を受け入れてくれた人は、確かに死んで。 魂を送ったのに。 (だって、吠登城で…) 親友だって、大きくなってそこに勤めていて。 この間会ったばかりなのに。 (なのになんで………っ!!なんでこの町はここにあるんだ……っ!!!) 琥珀色が頭を占める。 忘れられない、あれが血の色に染まる瞬間。 満月がその世界を照らし、狂い咲いた紅の花々。 ソレが、この町とあの町は別物だということを意味しているのに あの過去は、幻だったのだろうか? それこそが、夢だったのだろうか? 『そう、アレはただの、悪夢だよ』 終わったはずの過去。 それがまるで息吹くかのように、闇に埋め尽くされていく。 思考はまともに働かない。 冷静に戻れない。 頭が酷く痛む。 歪んでいく感情。 幸せな頃に、何かが戻っていく。 「おにい…ちゃ……」 死んだはずなのだ。 自分が、殺したはずなのだ。 それなのに。 「いるの…?そこに、いる、の……?」 鈍っていく、思考。 過去と現実が混じり混ざっていく。 何かが、蝕んでいく。 自分の手が、小さく見える。 まるで、子供の頃に戻ったように。 彼が、生きていた頃のように。 町の人々が、生きていた頃に。 『、おいで』 優しい、聞こえないはずの声。 そこに誰もいないはずなのに、声だけが響く。 「おにい、ちゃ……」 死んだはずの、彼を呼ぶ。 自分を認めてくれて、拾ってくれた大切な人。 兄と呼べと言ってくれた、彼を。 『五時までには、戻るんだよ』 「そう、ごじ、までには…」 聞こえないはずの声に、つられるかのように足を踏み出す。 ふらふらと、誘われるように。 (ああ、そうだよ。お兄ちゃんや町の人を殺すなんて、夢だったんだ) 琥珀色の見慣れた看板。 入口であるそれを潜りぬけると、いつも見ていた町の姿。 すぐに床屋があって。 向かいには薬屋があって。 活気がないけれど、素敵な商店街。 ホラ、コノ町ハココニアルジャナイカ 「こんにちは」 笑顔で挨拶をすれば、町の人々は驚きながらも笑顔で受け入れてくれる。 おじさんも、おばさんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、子供も老人も。 誰も、正体を知らない頃。 ホラ、人々ハ幸セソウニ生キテイルジャナイカ 「よお、ちゃん。遅かったじゃないの」 「うん、ちょっと」 「あんま兄ちゃんに迷惑かけさせなさんな」 「うん」 「ちゃんも捜してたよ」 「ほんと?じゃあ俺、捜してくる」 笑顔で返しながら、はそこを歩く。 知っている町を、人を。 見ながら。 琥珀色の町。 蜂窩。 俺ノ愛シイ 故郷 「ちゃん!リンゴもってきな!」 「おい!今度牧場手伝え!!」 「ちゃん、雨が降るから早くお帰りなさい」 農家のおばさんも。 牧場のおじいちゃんも。 いつも糸を紡ぐおばあちゃんも。 変ワラナイ、町。 「うん、ありがとう」 お兄ちゃんに買ってもらった黒い羽織。 それが一番のお気に入り。 濡れたら困ると思って、走り抜ける。 遠くからやってくる、彼を見つけて。 笑みを、零した。 「おにいちゃん!!」 「っ!!?」 琥珀色の短い髪に、青空の瞳。 大好きな、お兄ちゃんの姿。 驚く彼を他所に、その胸の中へと飛び込む。 温かいそれに、安堵を覚えて。 ホラ、大好キナオ兄チャンダッテ、此処ニイルジャナイカ 「ただいま!!」 笑顔でそういえば、優しい笑顔が戻ってくる。 大きな手が、優しく髪を撫でてくれる。 心地よい、その場所。 大好キナ、場所 「おかえり。遅かったな」 優しい声。 いつも迎えてくれる、その言葉。 嬉しさと喜びが心を占めていく。 「あのね、リンゴもらった!」 「本当か?じゃあウサギさんにしような」 「うん!あ、は?」 「もう戻ってる。さ、帰ろうか」 ズット コノママデ コノ ママデ アノネ オ兄チャン 恐イ夢見タンダヨ 俺ガ 大好キナコノ町ヲ滅ボシタ夢 琥珀色ガ綺麗ナコノ町ヲ 紅ニ染メタ夢 大好キナ オ兄チャンヲ 殺シタ夢ヲ 「っ!!」 誰かの呼ぶ声が聞こえる。 は大好きな腕の中から、顔だけを覗かせた。 紫苑の瞳に、四人と白い竜が映る。 どこか表情を強張らせた彼ら。 見たことのある、顔。 ドコデ? 誰、ダッケ? ワカ、ラナイ 「っ!!逃げろっ!!!」 「え?なんで?」 心地よいこの場所から、何故逃げなくてはいけないのか。 切羽詰ったような言葉の意味が分からない。 お兄ちゃんのこの腕に、ずっといたいのに。 このまま、幸せなときのままで。 「本当に、遅かったよ」 優しい手が、頭から離される。 もっと撫でていてほしいのに。 遅かったから怒っているのだろうか。 でも、五時までまだ時間があるはずだ。 顔をあげると、優しい笑みを浮かべたままの彼がいる。 「三年の、遅刻だ」 「さんねん?」 「そう、三年だ」 温かい腕の中、頭を撫でていてくれた手が動く。 銀色の何かが輝くのが視界の端に見える。 (きれいなほしのいろ) 何だろう。 そう思ったときに、腹部に衝撃と激痛が走った。 銀色に輝いていたそれは、紅に染まっていく。 鉄の、独特の味が広がっていく。 それは口から零れ落ちる。 紅ノ、液体。 「…………おに…ちゃ…?」 腹部に刺さったナイフが身体を抉っていく。 激痛が走っているというのに、悲鳴が出てくれない。 逆に、遠くにいた四人の中の誰かが、声をあげていた。 見上げると、青空の瞳は優しく笑んだままだ。 変ワラナイ笑顔ナノニ ナンデ、ソンナニ悲シイ瞳ヲシテイルノ? 「待ってたんだよ…ずっと。お前を…死神を殺せる日を……怨みを晴らせる日を!!」 青空は曇っていく。 狂気と憎しみを宿して。 歪んでいく。 何故 ドウシテ? 一体、何ガドウナッテ? の思考はついていかない。 ただ、腹部の痛みを感じながら、兄の服にしがみついた。 「…な…で?…に…ちゃ……?」 白いシャツが自分の紅で染まっていく。 しがみついた部分には、皺が刻みこまれていく。 上からは、冷たい視線が降り注いでいた。 「なんで…?ハッお前は忘れたのか?町の人を…お前が全て殺したんだろうが!!!ここにいるのは彼らの親戚だよ…お前に怨みを持った!!」 優しい声はもうそこにはない。 負の感情を背負い、そこから抜け出せない叫びのような、罵声。 言葉の意味が、また世界を歪めていく。 琥珀色ガ、紅ニ染マッテイク ソレハ闇ノ色ニ、呑マレテイク 真ッ暗ナ、漆黒ノ世界ヘ 笑顔でいた彼らはいつの間にか自分達を取り囲んでいた。 涙を流して、怒りを露にして。 憎しみと悲しみを宿して。 過去に、囚われたまま。 「本当に死神がここに来るとはな」 「この町を作ったかいがあるってもんさ」 「よくも俺の兄ちゃんを!!」 「私の従姉妹だったのよ!?大切な…大切な…!!」 過去が現実へと変わるのか。 現実が過去へと変わるのか。 分からない。 わからない。 ワカラナイ。 わか、ら、ない。 「死ね!死んでしまえ!!」 「殺して、早く!殺してェェェェ!!!」 「死神なんてイラねぇんだよ!!!」 「俺達の怨みを晴らせェェェェ!!!!」 ああ、アノ時と同じだ。 何もかも。 『死神』だと分かったあのときと。 『死神!悪魔!!』 『出テ行ケェェ!!人殺シ!!』 『貴方ガ』 『貴方ガ、悪イノヨ』 これは過去か? 現実カ? 夢か? 未来カ? いや、モウそんなコトどうでもイイんダ ただ感じるのは、腹部にある痛み。 銀のナイフを自分の血で紅に染めていること。 そしてそれを握っているのは。 「……ちゃ……おに…ちゃ…………」 大好きなお兄ちゃん。 それだけで、いいんだ。 「…誰がてめぇの兄貴だよ…ま、それもいいか。そうして、欲しかったんだろ?」 彼は憎しみを宿したまま、歪んだ笑みを見せた。 ナイフがそのまま、内臓を抉っていく。 痛みは増して口からまた、血液が零れた。 「大好きなお兄ちゃんを殺して。そのお兄ちゃんに殺されるならよ」 低い声が体を支配していく。 もう、何をする力も残ってはいない。 ただ彼にしがみつくしかなかった。 流れていくのは口からの血だけではない。 紫苑の瞳からは、透明な滴が溢れていた。 彼の服にしがみつく手は震えている。 白いシャツが、の血で染まっていく。 昔とは違う。 黒い羽織りが、彼の血で染まっていた過去とは。 「…っ…おにいちゃ…」 は微笑んだ。 泣きながら、笑んで。 紅で染まった口をゆっくりと、開いた。 「生きて…て…よか……」 青空の瞳にそう告げれば、一瞬彼の中に動揺が見え隠れしたのが見えた。 しかし、それに何をするわけでもない。 は本当に嬉しそうに微笑むしか、なかった。 生キテテヨカッタ。 夢でもいい、現実デモイイ。 なんでも、イイ。 大好きな、彼が、そこにいるなら。 こんなに嬉しいことは、ない 涙は止まらない。 紫苑の瞳は笑んだまま、閉じられる。 「……さよ……な…ら…………」 身体と、手に持っていた紅のリンゴは、重力に従って崩れ落ちる。 挨拶を忘れずにして意識を手放す。 だって、挨拶は、お兄ちゃんが教えてくれたことだから 誰かが、の名前を叫んだ。 誰かはわからないけれど。 ソレが酷く 心地よかった。 |