沈黙が訪れる。


閻魔あいの頭に、が来る前の出来事が過ぎる。





この紅の世界の川の向こう。
三途の川の途中の、黒い世界。
その世界に浮かぶ、三つの大きな瞳。
ギョロギョロと忙しなく動くソレは全世界を見ているかのよう。

あいはソレを知っている。
ソレもあいを知っている。



『あい』



ソレがあいを呼ぶ。
低い、男のような声。

いつもは屋敷で蜘蛛の形を成して、あいを監視しているソレは今本体を曝け出していた。
あいを本体のところまで呼びつけたのだ。



『あい、己を呪うモノを知っているな』



ソレの言葉に、あいの眉間に静かに皺が寄る。
無表情の彼女が表情に出すのは珍しい。

何故知っているのか。
それは関係ない。
何せ、ソレは全てを知っているのだ。
この世の全てを。

あいが表情を歪めた理由。
それはどちらかというと、彼女の件を口に出したことに対してだ。




彼女の件は一目蓮達の報告を受けて、全て分かっているつもりだ。

家族の交通事故から始まった悪夢。
彼女に関わるモノは不幸に…死に至らしめられる。
それは世界を代表するある組織が行っている1つのプロジェクトの一貫。
世界を担う重要人物が、邪魔者を簡単に始末出来るように仕組んだモノ。
それだけに止まらず、ソレを利用している一般人。

そのプロジェクトのために死ぬことさえ許されず、ただ殺人人形の如く生きる
そんな己を呪う、彼女。


「己を呪う」依頼人は初めてだ。


あいの心情を理解しているかのようにその件を出したソレ。
それに対して、顔を歪めたのだ。

ソレはそのことを気にするわけでもなく、言葉を続けた。



……あやつは多くの人の欲望を身一つで背負ってきたモノ。過酷な世界に生き、同時に間接的に人を殺め。己を憎み己で死ねぬモノ』


「…………」



過酷な世界を生きる
それに同情しながらも、多くの人を殺めたことは事実だと。

ただの地獄逝きでは許されないと。

そう言っている気がして。



「………なら、どうすればいいの」



気がつけば、あいはそんな言葉を発していた。
誰かが誰かを呪う。
そういうことならば、いつもどおり仕事をこなせばいい。

だが、今回は違う。

ギョロギョロと忙しなく動いていた目が一点に集中した。
あいに、視線が三つ注がれる。



『人を呪わば穴二つ。己を呪わば……穴は幾つになると思う』



低い、人間ではない声。
ソレはあいの質問に答えるものではなく、問い返す。



「………………」



あいは顔をゆがめるだけで、答えはしない。
答えが、分からないからだ。
その様子に、ソレは三つの目を細めた。



『…己、という命も人の命。しかし、彼女の場合は不本意ながらも多くの命を殺めた。…穴は無限に広がる。彼女自身が地獄に堕ちたところで…溝は埋まらぬ』



それだけでは納まらない。

あいは顔を更に歪めた。
人の命を奪うことで、己の命で償う。
しかし、それ以上の何かで償わなければならないというのなら、一体何があるのだろうか。

の親しい人々はもう既に他界している。
むしろ、その命を奪っているのだから仕方がない。


では、一体何で。



『……今よりも、更に辛くなるだろう』



己のせいで多くの命が奪われる。
大切なモノが消える。

それよりも。


もっと。
もっと。



「………………そう」



思い当たることがある。

あいは全てを悟った。
が糸を引くこで、彼女がどのような運命を辿ることになるのか。

もうあいは顔を歪めていない。
いつもどおりの、無表情に戻っていた。
それを見て、何やら安心したのかソレは三つの目をまたあちこちへと動かし始めた。



『どちらにしろ、彼女が選ぶことだろう。…後は任せたぞ、あい』


「……分かった」



糸を解くか解かないか。

それがの運命の分かれ道。



吉と出るか凶と出るか。

それはの考え次第。




「どちらにしろ………彼女には………」



ソレに背を向けて、紅の世界へと船を漕ぐ。
あいの小さな声は届かない。
木で作られた櫂が暗闇で黒くなった川をゆっくりと漕ぐ。

自然と、眉間に皺が寄る。



「……数奇な運命しか……ない」



糸を解くか、解かないか。
どちらにしろ、彼女の行き着く先は…。


そこまで考えて、あいは思考を止めた。
少し変わった依頼人だからと言って、何故ここまで考えてしまうのか。
甚だ、疑問に思ってしまう。


ただ、を考えると頭の中に浮かぶのは、何も映し出していない紅の瞳。
風に揺れる銀の髪。
傷ついて傷ついて、もはや感情を失いかけたような表情。

そして、自分とどこか同じモノを感じる。



「…一目蓮たちに報告しなくちゃ」



彼らは何を思うだろう。
特に一目蓮はあの三人の中で飛びぬけて、彼女のことを考えているようだった。
骨女も、どこか気にしていて。
輪入道は彼女と一度も会って話してはいないはずなのに、彼女の過去を知って、あの世界に憤慨しているようだった。


(…不思議な人)


あちらの世界では利用され、憎まれ、恐れられている人だというのに。
ここではこんなにも、人を惹きつけてやまない。


(……できることなら……)


黒い世界から紅の世界へと、視界が変わる。
紅く染まる岸辺に、三人の影が見える。


(でもそれは、本人が決めること)


そう、自分達が決める、決められることではない。
全ては本人次第。
その先がどうなろうと、だ。








風が揺らす。

川の水面、彼岸花、そして自分達の衣と髪。



あいはゆっくりと己の目を開いた。

頭の中を駆けていった先ほどの出来事がすっかり風に流されて。
今は目の前に、自分と同じ瞳の色をした人物が真剣に自分を見つめている。


(覚悟は…できているのね)


ならば、話さなくては。
彼女の運命を。


覚悟ができたのはではなく、あいの方。
それを誰も知ることはなかった。
勿論、あいでさえも。