『有り難う』




最悪の選択肢を作った私達に。

彼女は心からの微笑みと、感謝を置き土産として置いていった。







紅の世界に、影が二つ。
閻魔あいと、一目蓮。


骨女はに面会した副担任として、まだあちらに存在しなくてはならない。
病院の廊下で、何事もなさそうに歩いているだろう。
輪入道は藁人形なのだから、今頃彼女の手の中でじっとしているに違いない。

…二人がどういう心境かなど、関係なく世界は廻る。



「お嬢」



一目蓮が、あいの後ろから声をかける。
あいは、視線を川の水面から蓮へとゆっくりと移した。
その姿は、日本人形のごとく美しい。



「………何」



声を出して、あいは自分に驚いた。
かすかに声が震えている。
こんなことは今までなかったことなのに、とあいは自分に首を傾げた。
蓮も、目を大きく見開いて驚きを隠せないでいる。



「お嬢………まさか」


「さっき、何を言いかけたの」



一目蓮の言葉を遮る。
彼の言葉の続きは聞きたくなかった。
それを聞いて、それを認めてしまってはいけない。

『地獄少女』なのだから。



「…その、さ。もしが、自分じゃなく『アイツ』を怨んだ場合ってどうなるのかと思って」



何となくあいの心情を察したのだろう。
一目蓮は先ほどの言葉を続けずに、最初から訊こうと思っていたことを口にした。



「…『アイツ』が地獄に流される。は生き残り、後の人生を送った後、彼女自身も地獄へと流される。…分かっているはずでしょう」



あいは無表情のまま、ただ事務的に答えた。
目の前の一目蓮の表情が歪む。
小さく、「そうだけどさ」と呟いているのが聞こえた。




の選択肢は三つ。


糸を解かずに、そのままの人生を歩むか。
糸を解いて『アイツ』を地獄へと流すか。

そして、『己』を怨んで糸を解くか。



その選択肢が何を導くのか、分かっているはずだ。
訊いた一目蓮も、骨女も、輪入道も。
勿論あいも。

、本人も。

そして。



「……貴方の望んでいる結末には、どちらにしろならない」


『それでも貴女はあの娘の選択肢を増やしてくれた…感謝しています、地獄少女』



あいの言葉に、一目蓮ではない誰かが答えた。
男とも女ともつかない、中性的な声。
それはによく似ていた。

驚くこともせず、あいは声の持ち主へと瞳を向ける。
その先には、一目蓮に抱かれている子猫の姿があった。


するりと腕から離れて地面へと着地する。
猫独特の瞳が、あいを優しく見つめた。



『私達が死んでからあの娘は苦しみ続けていた。…あの男のせいで選択肢もない人生を送ってきていた。どんなに悪い選択肢が増えようとも…きっとそれはあの娘にとって奇跡に近いはずです』


『それに、貴女方に逢えた。話せた。…それだけでも、あの娘にとっては奇跡です』


『あいつの心を少なくとも、救っくれてるんだ。…有り難う』



一匹の子猫から聞こえる多くの声。
中性的な声から、低い男性の声と少年の声へとクルクルと変わる。
まるで、その一つの身体に幾つもの魂が宿っているかのように。



「…あの人の心を救った?」



一体何の話だとあいは首を傾げた。
選択肢を増やしたことは認めるが、心を救った覚えなどない。
むしろ、陥れた気さえする。
一目蓮の訝しげに表情を曇らせると、子猫は「やれやれ」と苦笑した。



『分かっていないならいいよ。とにかく、久しぶりに姉貴が表情を表に出したんだ。それだけでも、心は救われてると思うぜ?』


『本当に…ここ数年はあの娘は泣きもしなかったからなぁ』


『それどころか、自分に傷をつけて耐えてるんですもの…見てるこっちが辛かったわ』



子猫にこの魂が宿るまでは、ずっと見ていた。
彼女の傍で。
彼女が気付かないのを知りながら。
彼女が傷ついていく様を。


抱きしめることもできず。

慰めてあげることもできず。

話しかけることすらできずに。



『………ここ数年は、本当に辛かった』



本当はずっと、君と歩んでいきたかった。

笑顔で、温かい家族のままで。

ずっとずっと、一緒だと思っていた。



それなのに。

私達は先に君から去ってしまった。



ごめんなさい。

君より先に逝ってしまったこと。

ごめんなさい。

君が苦しんでいるときに助けてあげられないこと。



何度謝罪しても足りはしない。

だって君の心は未だ、暗闇の中にいるのだから。



それでも君は見つけた。

いずれ消えてしまうであろうけれど、小さな温かい光を。



『どちらにしろ……あとはあの娘次第』



どんな辛い選択肢でも。

君はきっと、大丈夫。



『…もう、大丈夫だろ、姉貴』



君は気付いた。

君を気遣ってくれる人たちに。


それは、遠く、離れていても。

君の思い出の中からは消えはしない。



『…さぁ、地獄少女。私達を消してください。それがこの子猫のためですから』



もう大丈夫。

君はもう大丈夫だから。

私達は安心して消えることができるから。



「…本当にいいのね」


『ああ。私達は長く留まりすぎた。この子猫もそろそろ、自分の力で生きたいだろう』


『それに、もう姉貴は俺達が見てなくても大丈夫そうだしな。…そうだろ?』



君がどんな選択をしても。

大丈夫。

君はきっと『見つけられる』。



「…貴方達の魂を、あの世へ返します」



紅の瞳が子猫を見つめ続ける。
子猫はふわりと微笑んで、一礼した。



『『『…あとは宜しくお願いします』』』



柔らかな光が子猫を包み込む。
光に、子猫の身体は消えて。

一瞬にしてそこは、ただの紅の空間となった。