分かっている。

それを承知しているからここにいる。




「………もう…ココには帰って来れないかもしれないんだぞ……それでもいいのか」



それでも心が揺らぐのは、それが一番大切なものだから。
それでも行きたいと思うのは、それ以上に自分の求める先があるから。


だから、進む。

止まっていては、何も変わらないから。



「…それも承知済み。だからちゃんと皆に挨拶してきたつもりだよ」



は静かにそう答えて、微笑んでみせた。

両親の墓にも行った。
お世話になった人たちにも学校にも、思い出や多くの場所にも挨拶してきた。

ここ一ヶ月間。
自分の育ってきた大切なこの世界の全てを、全部目と心に焼き付けてきたつもりだ。


残すは、あと一人のみ。



「あとは…兄ぃだけさ」


「……」



その言葉に、ピクリと兄が反応する。
から発されていた風がゆるりと止む。
瞳の色は紫苑に戻り、瞳孔も元通りになっていた。
静かになった妹に、兄の心はざわついた。



「…、俺はまだ行かせるとは言ってな」


「兄ぃ、今までありがと」



兄の声を遮る。
そして顔を見ないように、深々と頭を下げた。



「俺が生まれた頃から…親父とお袋が死んだ後も…面倒見て育ててくれて……本当にありがと」



戸惑いの空気が目の前から感じられる。
は、それにフと頭を下げながら笑った。


の、一回り年上。
小さい頃からずっと一緒だった。
両親が死んでからも、店を営んで生活を支え、そしていつも傍にいて自分を支えてくれた。

優しい人。
心配性で、小五月蝿いのがたまに傷で。
だけど、大きな身体と心、そして大きな手には何度も助けられた。



の、誇り。

大切な、存在。



(…もう会えないかもしれない)



だけど、進まなくてはならない。



(……いや、会えないかもしれないじゃないな)


これを決めるのは運命じゃない。
必然だけど。
必然じゃない。

己の意思だと、信じている。

だから。



「…兄不孝者でごめんな……でも俺、今度こそあいつらを守りたいんだ」



頭を下げたまま、そう言葉にする。
己の意思をそのままに。

兄は未だ戸惑いながらも、口を小さく開いた。



「…………守るっつったって……何も出来ないだろうが」


「…でも何か出来るかもしれない…治癒の『気』だけでも。やらないよりも、やった方がマシかもしれない」



可能性がある限り、進みたい。

それに、とは顔をあげて胸ポケットを開き、中から何かを取り出した。
片手を静かに開く。

兄は金色の目を見開いて、それを見た。



「っ!!それは……」



光るそれは、ふわりと浮いての片手からは離れる気配もない。
手から、というよりはからだろうか。
風もないのに浮くそれを、兄は未だに凝視していた。



「そう、羽根……。俺の部屋に何故か落ちてた」



一枚の、鳥のもののような羽根。
奇妙な文様が浮かんでいるが、淡く光るそれはどちらかというと安らぎを運んでくるような印象を受ける。



「最初何だか分かんなかったけど…コレ、俺のことを呼んでるんだ」



温かいそれ。
は優しく微笑んで、またベストの胸ポケットに入れた。
それを見届けてから、訝しげに表情を歪ませた兄がの名を呼ぶ。



「…その羽根の意味は分かってるのか?」


「いんや、知らねぇ。…でも…帰りたがってるのは分かるぜ。持ち主の元へとな」


「………持ち主を知っているのか?」


「あぁ、コイツが知ってるからね、教えてくれたよ」



ポンポンと羽根の入っている胸ポケットを優しく叩けば、それに答えるように光るそれ。
淡い光はその持ち主の心を表わしているかのようだ。

いつもと変わらない、灰色の部屋で淡く輝いて浮いていたそれ。
何事かと近づくと、それはすんなりとの手のなかに落ちた。
羽根、と認識した途端に頭の中に流れ出した映像。
あの少女が今またの脳裏に浮かぶ。

優しく微笑む、彼女を。



「もう、覚悟はできてんだよ兄ぃ。どんなに大切なモノだろうと…対価は払ってみせる。どんな運命が待っていようと、あいつらと一緒にいたい。…これが俺の望みだ」



その覚悟を表わすかのように、は目の前の兄の瞳を見つめた。
穴が開くぐらいに、見つめ通す。

誠心誠意。
それを分かってほしくて。


そして、兄の姿を記憶に刻み込むためにも。




(……まいったな)


に見つめられたまま、兄は心の中で小さくぼやいた。

あのお得意先に行きたいと言い出すことぐらい、分かっていた。
言い出すであろう理由や言葉だって知っていた。
どんなに止めても、駄々をこねることも予想済みだった。


兄には止める自信があった。

事の重みを知っているから。
行かせないために、の安全のために対価を払っていた人達を知っているから。
何よりも、という存在を自身よりも知っているという自負があったから。


(…が、思っていたよりこいつは成長しちまったみたいだ…父さん、母さん)


他界してしまった両親に心で報告してしまうほど、がここまで覚悟しているとは思っていなかった。
目の前にいるは威風堂々とそこに立って今も自分を見つめている。

責任、覚悟、誠意。
そして行かなくてはならないという義務感。

思った以上に心は成長を遂げていた。
自分が納得してしまうくらいに。


(俺も……まだまだ甘いな……)


行かせたくない、と叫ぶ心。
それ以上に、の視線は強烈だった。
妹の気迫に負けてしまう自分を心で嘲け笑う。







名を呼ぶ。
はうん?と首を傾げただけで、目は逸らさない。
そんな姿を見てから、兄は誰にも分からないようにフと微笑んだ。







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