羽根を手に入れた小狼は皆に頭を何度も下げて礼を言った。
気さくな人たちばかりだったために、早く行けと送り出してくれる。
警察は笙悟達がどうにかしてくれるそうだ。

彼らに甘えて、小狼達は別れを告げ、嵐や空汰の待つアパートへと帰ることになった。
一刻も早く、サクラのもとへ行くために走る小狼。
その後を、が追うように懸命に走る。
またその後を、黒鋼とファイがのんびりと走っていた。
勿論モコナはファイの肩の上に掴まるだけ。


空を見ると、先程のような青いものはない。
灰色の雲が空を覆いつくしていた。
雨が降りそうな空。

しかし、それを見て何かを感じる余裕は、にはなかった。
彼についていくのが、懸命なのだから。



「お帰りー小狼ー!ー!どうやったー?」


「あ、そ、空ちゃん!?」



必死に走っていたせいで、戻ってきたことすら分からなかった。
が驚いて止まって、息を整える。
咳き込むの背中を擦ってくれたのは嵐だ。
しかし小狼はそのまま、脇目もふらずに玄関へと走っていく。



「ありゃ?またいそいで。なんでそんなにボロボロなんや?!」


「さくらの羽根がひとつ、みつかったんです!」



小狼からの答えは一つだけ。
ボロボロの理由は関係ないとばかりに、そのまま彼は背中を向けて走っていってしまった。



「ほんまか!?」


「ほ、ほんま…ゲホゲホッ!」


「大丈夫ですか」


「う、うい…」



となると、空汰の質問がくるのはだ。
咳き込みながらも、はしっかりと返事をして、なおかつ親指を立ててみせた。
空汰がガッツポーズをし、嵐が優しく笑む。

ようやく息が整ったところに、大人組とモコナが追いついた。



「お、ファイに黒鋼!モコナもご苦労やったな」


「ただいまー」



とは違い、全く息を切らしていない。
体力の差は歴然だ。



!小狼は〜?」


「もう部屋に入ってったぜぃ」



額に浮かぶ汗を拭って、は玄関を指でさす。
モコナは立ち上がった銀の頭に飛び移った。
早く行こうと促すかのように、ペシペシと叩く。



「早く行って、確認したらどうや?わいとハニーは晩御飯作っとくさかい。めちゃんこ美味しくて身体にめっちゃええやつをな!」



モコナの気持ちを汲み取ってか、空汰が促してくれる。
身体に良いもの、というのはサクラの身体を気遣ってだろう。
彼の言葉に糸目はキラキラと輝いた。



「行こうよ〜!」



全く遠慮がない。
は苦笑を零しながら、ペコリと頭を下げた。



「ういうい。じゃ、行ってきます」


「いってらっしゃい」


「黒鋼もファイも〜!!」


「はーい」


「何で俺まで…」



結局大人組も行くことになる。
掃除してから料理をするという嵐と空汰に一時の別れを告げ、三人で階段を上がっていく。
うきうきとするモコナの傍ら、は苦笑しか零せないでいた。


脳裏を過ぎるのは、侑子の言葉。



『対価は、関係性』



もう対価は払われている。
サクラが目覚めたとて。


(死なせるよりは、マシだけど)


彼女の最初の言葉は。
きっと。


小狼の心を、抉る。









「さくら!」



部屋の扉を静かに開くと聞こえる声。
靴を脱いで上がると、電気に照らされる小狼の背中が見える。
彼の手は、しっかりと彼女の手を握っている。

声からして、安堵と嬉しさ。
心配が入っている。
対価のことなど、今は忘れて。

起きたことに対する喜びの方が大きくて。


その喜びをかき消すのは、無情にも、彼女の言葉だろうことを。
は静かに感じて、瞳を閉じた。



「……あなた、だあれ?」



静かに、しっかりと紡がれる言葉。
優しい声色は、どこか頼りない。
瀕死の状態から目覚めたのだ、それは仕方がないこと。

開かれた翡翠の瞳。
虚ろな世界に見えるのは、知らない人物。


彼女にはどう見えるのだろう。
ずっと手を握り続け、目覚めを待ち。
必死で、怪我ををしてまで羽根を探し、彼女を助けようと併走した見知らぬ少年の。

彼女の手を離した、表情は。



ここからでは後姿しか見えない。
沈黙し、一度俯き、顔をあげる、その姿しか。

紫苑の瞳には映らない。



「おれは小狼。あなたは桜姫です」



淡々と、何ともないように告げる。
声色は優しく、怯えさせないものだが。
小さく、震えている。

の頭に乗っていたモコナが、髪を優しく掴む。
まるで、拳を握るように。

ファイや黒鋼も表情に真剣さが帯びる。
それだけ、分かっていた。


小狼が、頑張って頑張って。
必死に、彼女を救おうと。
目覚めさせようとしていたのを知っていたから。



「どうか落ち着いて聞いて下さい。あなたは他の世界のお姫様なんです」


「他の…世界?」



記憶がないだろう桜姫に、説明する。
目的と、立場を。
しかし、それは必要最小限のもの。

多くはいらない。
それで、困惑させてはいけないという彼の配慮。



「今、あなたは記憶を失っていて、その記憶を集めるために異世界を旅しているんです」



全ての記憶が戻ったとて、そこに過去の小狼の姿はない。
彼にとっても、彼女にとっても。

どんなに大切な存在でも。



「…一人で?」


「いいえ、一緒に旅している人がいます」



まだ意識はしっかりしていない桜姫。
記憶の羽根が足りないせいで、舟をこいでいる状態だ。
それでも、彼の説明をそのまま聞き入れている。
だからこそ、質問が返せる。



「…あなたも…一緒なの?」



その質問は、どの気持ちから来たのだろうか。
疑惑か。
純粋な質問か。



「はい」



それとも。
もう戻らない記憶が、語りかけるのか。

どちらにしろ。

結果は同じだ。



「……知らない人なのに…?」



過去は戻らない。
幸せのときも、苦しみのときも。

対価と共に支払われた。


覚悟の上での決断。
そうだった、はずだ。



「…はい」



しっかりと、そう頷く。
微笑みかけて。
無理を、して。

辛いのは小狼。
だが、の心も同様に、抉られる気すら起きる。

もうこれ以上、彼の心を抉らせてはいけない。
が前へと出る前に、ひょろりとした男性が前へと出た。



「サクラ姫はじめましてー。ファイ・D・フローライトと申します」



すっと礼をしながら、近づいていく。
のその後ろから続いた。

小狼の肩に優しく置かれる手。
それは、彼の心情を察し、意味を灯す。
「あとは、まかせて」と。



「あ、俺はがフルネーム!。敬語とか苦手だから、タメ語でいい?あと、サクラって呼んでいい?」



はサクラの隣に座り、顔を覗き込む。
波のように次々と質問を繰り出して、小狼から注意を惹きつける。
翡翠の瞳が虚ろなまま、を映す。
同時に、小狼は静かに立ち上がった。



「あ、はい…よろしくお願いします…」


「あ、サクラもタメ語で。同じくらいの歳だしさ、仲良くしよ!な!」



ニコニコしながら色々注文をつける。
まだ夢見心地なのか、サクラは感情をあまり表に出さずに頷く。
そこでファイは両手を立っている黒い男性へと向けた。



「で、こっちはー」


「黒鋼だ」



素直に答えてくれるあたり、彼も小狼を察しているのだろう。
扉に手をかける、小狼の背中が見える。



「で、このふわふわ可愛いのがー」


「モコナ=モドキ!モコナって呼んでっよろしくあくしゅ」



モコナがいつもの調子でサクラに小さな手を出す。
勿論、の頭から降りてだ。
虚ろな笑顔を見せるサクラを見てから、は窓の外を見つめた。

雨が窓を小さく叩く。
地面を叩く。


そしてきっと。
出て行った小狼をも。

濡らし、叩いているのだろう。














第参拾漆話<<    >>第参拾玖話